らかんべえと思いやす。(涙)……道雄さんから一番しめいに来たハガキを、おばさん、肌身に附けて、いつでも持っていやす。……いとしげに……。そんでいて、あんな風で、おかしなことばかり言ってる。人の事じゃ直きに泣き出す人が、自分の事では泣いてる暇も無えのづら。……腹ん中あ思うと、わしらが、へえ、いろんな事言って来られるわけのもんじゃ無えんだけど……へえ、つい、来るのでやすよ。……なんの事も無え時にゃ、おばさんの事なぞ、みんな、まるっきり思い出しもしねえ……苦しい目に会うと、急におばさんが恋しくなって逢いに来るだ……へえ、自分勝手なもんでやすよ。わしら――(涙を拭きながら、笑う)
青年 ……いや、私も、はじめ何でも無い唯のお婆さんだと思って……段々聞いていると、まるで、どうも……。はじめポッチリ雲が出て、なんでもない雲だと思っている間に気が附くとそいつが空一杯の入道雲になっている――船に乗っていると、そんな事があります。それと同じような気がします。びっくりしました。
女 ……(相手の言葉がよくは解らぬ)……そうでやすかね。
青年 しかも、自分では自分の大きさを知らずにいる。なんと言ったらよいか……私は、実は、非常にうれしい――うれしいと言うのも、変なものですが……ハハ(思い出したように軽く笑って)なんです……小さい時に別れたおふくろの事を考えていたら……あんなお婆さんに逢って……妙な気がします。なんですねえ、人と人とが、たった一度きり逢って、それっきり別れる……なんと言う不思議な因縁でしょうねえ。誰に向ってお礼を言ってよいか、わからん。ありがたくなります。
女 へえ、おふろくさんでやすか?……(なんの話だかわからず、青年を見る)
青年 ハハ、いや、それは此方の話です。どうも――
[#ここから2字下げ]
(言っている所へ、奥の麦畑の方から刈り取った麦束のかさばったのを、荒縄で引っかけて[#「引っかけて」は底本では「引つかけて」]背負いにした百姓が、前こごみになってユサユサと戻って来る。青年と若い女がそれを見迎える。……百姓は千歯の傍の所で、荷物ごと仰向けにひっくり返るような具合にして麦束をおろす)
[#ここで字下げ終わり]
百姓 どっこいしょと!(立上り、後ろへ廻って、千歯の踏板を踏む)
女 おばさん、湯がわいた。一服したら――。
百姓 ……(それには返事もせず、麦束を一つ取って千歯にかけながら、いきなり話し出す)へえ、昔なあ、板橋の下の宿に五兵衛と言う半百姓の猟師がいた。えら年功を終た[#「終た」はママ]熊が出やがってなあ……うむ、昔はこの辺にも熊が居たそうだ。畑あ荒すし、第一、物騒で山仕事も出来ねえつうので、とっつかまえろと言う事になってよ、この奥に追い込んだ。……そんで五兵衛さんと言う衆が、そいつば打ちに行く時に……じょうぶ[#「じょうぶ」は底本では「じようぶ」]でけえ熊だで命がけだ。……そで無くても、冬のさ中の雪の深い山ん中へ行くだから、下手あして、崖にでも落ちると、凍えて[#「凍えて」は底本では「凍へて」]死なあ。……その出がけに、五兵衛と言う人が、おかみさんに言ったそうだ。俺が戻って来るまで、火ば絶やすな。……そ言って出たっきり、三日三晩というもの戻って来ねえ。おかみさん心配で心配で、何にも手が附かねえ。んでもほかにどうしよねえから、胸ん中で亭主の無事を念じながら、セッセと火じろを燃やしてたそうだ。
女 ……(めんくらって)なんの話だえ?
百姓 (相手の質問を無視して語り次ぐ。その間も麦こきの手は休めない。傾聴している青年)……三晩立って、四日目の昼過ぎ五兵衛さん半死半生で戻って来ての話にな、熊に出会って、鉄砲玉あ奴の身体にぶち込んだにやぶち込んだなれど、死んだとも何ともハッキリ見とどけねえ中に、此方も崖からすべり落ちて頭あ打って、気い失ってる間に夜になっていた。気が附いて沢伝いに歩き出したが、とうとう道に迷っちまったそうだ。いくら歩いても里へ出ねえ。腹あ空くし、疵は痛む。その中に凍えて眠くなっちまって雪ん中でぶっ倒れてチョット寝ていちゃ、こうしていてはいけねえと気い取直しちゃ少し歩き、又あ眠くなって、ぶっ倒れる。又、歩く、……へえ、じょうぶ苦労して、やっと戻って来たそうなが、その眠くなっちゃ雪ん中さつっころげてウトウトしかけると、きまって、おデコの辺がムシムシしてな、家の火じろで火が燃えてるのがチラチラ見えたそうな。そんで、こうしていちゃいけねえと思っちゃ、引っぺがすようにして歩き出したそうだ。……あん時が危なかったと言って、後になって五兵衛さん身ぶるいしていたそうな。俺が小せい時に聞いた話よ。ふむ……そ言ったもんで、どこの家でも、火じろにゃ、火の神さまが住んでござらっしゃらあ、亭主が居る時は、亭主が火を燃す。……亭主が留
前へ
次へ
全20ページ中14ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
三好 十郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング