守の間は、そのおかみさんが、火をみてるもんだ。……そで無きゃ火の神さまあ、家のむね離れてしまうて、よそに居る亭主は、つっころげた[#「つっころげた」は底本では「つつころげた」]まま、それっきりになってしまわあ。……そこの家のおかみさんと言うものはそれがつとめだらず。……たとえ、どんな辛え事があっても、へえ、火じろの所から動いちゃならねえづら。
女 うん……(はじめは、めんくらっていたが、百姓が、その廻りくどい言い方で以て何事を話そうとしているかがおぼろげながら解って来て、うなだれて聞いている)
百姓 そうだらず? な、シゲ。……その、二三日前に来た弟にしても、先方のおふくろさんにしても、身勝手と言や身勝手だ。……よっぽどの衆らしいや。……おっかあが[#「おっかあが」は底本では「おつかあが」]、どうでもお前をやらねえと言うのも、もっともだ。……だども、考えて見ろ、人間、誰一人身勝手で無え者があるかや? おっかあにしてもそうだ、お前にしてもそうだ、俺にしても身勝手よ。誰にしても、ウヌの尻がかゆい時に、人の尻を掻きやしねえ。ウヌの尻がかゆいのは、かゆい訳が有ってかゆいだ。どうにもなるもんでねえ。言わば、そう言うめぐり合せが来てそうなるだから、良いの悪いの言い立てて見たって、どうならず。へえ、そんな事あ、なるように打っちゃっといて[#「打っちゃっといて」は底本では「打っちゃつといて」]、自分は自分のするだけの事あするだ。……言わば、こらえてやるだ。……全体、女のする事あ、こらえてやる事だけだ。こらえる事の出来るのあ、女だけだ。……男にゃそったら事あ出来はしねえ。……女がこらえてやらねえじゃ、誰がこらえてやるかや?
女 へえ……。(しみじみと聞いている。青年は百姓の言葉の中から、彼女が言おうとしている事を掴もうとして、百姓の顔を見守っている)
百姓 ハハハ、俺が栃沢の家へ嫁に来てからの十四五年の間なんと言うものの辛さなんちうものを見せたら、お前なぞ眼え廻すべし。おふくろさまもおやじさまも、むずかしいの[#「むずかしいの」は底本では「むづかしいの」]なんのと言って。それに小じうとが五人から有らあ。……へえ、丁度道雄が生れる頃までと言うもの、俺あ、へえ、三百六十五日、帯い解いて寝た事なぞ、めったに無かった。……その道雄にしてからが――(言いさして、道雄と言う名が出て、何かをフッと思い出し、しばらく言葉を切って千歯の歯を見詰めていたが、やがてフッと笑って)あの小僧が腹に出来ていて、へえもう、おっこちそうになっていても一日半日寝てることも出来ねえ。やっぱし畑に出ていて、あんまり差し込んで来るで、こらえ切れなくなって、家へ戻る途中、畑の路で、まるでへえ、おっことしちまった[#「おっことしちまった」は底本では「おつことしちまった」]。……そんで、まあ、道で生れたと言うので、道雄だあ、あん野郎。
女 フ、フ、フ……。(青年も笑い出す)
百姓 フフ……万事が、先ず、そ言った調子だ。そんでも、へえ、俺がこらえてやらねえじゃ、家ん中で誰もこらえてやってく者は無かった。辛えと言えば、朝眼がさめた時から夜寝るまで辛く無え時なぞ一刻もあらすか。……んだから、しめえには、辛えなんて思う時も一刻も無しよ。……物事、そうたものさ。ハハハ、シゲ、お前岩村田へ帰れ。
女 ……へえ。
百姓 俺あ、源太郎が兵隊に出てるから、んだから、がまんして帰って居れと言うんじゃ無えぞ。……そりゃ、兵隊によけいな心配かけちゃ、いけねえ。いけねえけんど、こんな事は亭主が兵隊であろうとなかろうと、同じだ。……亭主のことを、いとしいと思うたら、帰れ、帰って、岩村田の家の火じろの所で、ぶっ坐っていろ。そんで源太郎も、いい戦が出来るだ。……源太郎も、それや、手紙ではお前に気の毒で、どっちに居てもええなんて言ってるが、ホントは帰って欲しいだ。
女 ……だども、うちのおっかさんが、どうでも反対じゃと言うて――
百姓 反対してもかまん。何を言ってもかまんから、うっちゃって、明日にでも突っ走って行っちまえ。後は俺がええ具合にしてやらあ。
女 へえ、んじゃ、わし。岩村田へ帰りやす。
百姓 そうしろ、そして、どんな辛え事があっても、もう川上にゃ戻って来るな。俺が辛抱すれば源太郎がシャンとして[#「シャンとして」は底本では「シヤンとして」]やってると思え。俺が辛抱出来ねば、源太郎、どっかでつっころげて、敗け戦あしてると思え。そう思って、岩村田の火じろに、ぶっ坐っているだ。たとえ、ぶたれても、蹴られても、源太郎のこといとしいと思うならば、動くな。
女 ……よくわかった。そんじゃ、川上のおっかさんの事、よろしく頼みやす。
百姓 ええともよ。全体お前のおっかあなんて言うものは、カンばかり強くって、なんでも直ぐに悪い方悪
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