ら又、岩村田へ戻って、あすこのおっかさんや道代さんと一緒に暮さなきゃならんと思うと、身をきられるような気がする。……死んだ方がましだと思うことが三日にあげず有るだから。……そりゃ、おばさん、ホントに辛いで。……だもんだから、え、どうしてええか、わからねえ。(泣き出す)
百姓 ……そうかえ。……その気性じゃ、先ず[#「先ず」は底本では「先づ」]、そうだらず。……とんだ、お前も苦労をするもんだ。ふむ……(千歯の歯を片手で掴み片手の指で、涙を頬にこすりつけていたが、それでは間に合わなくなって、姉さまかぶりしている手拭を取って、顔中をゴシゴシ拭く)……そうさ……(途方にくれたように若い女を見たり、その辺を見廻している中にひどく悲しそうな心細い顔付きになり、ヒョタヒョタと二三歩その辺を歩き廻り、ウロウロとその辺を見まわしていた眼が、千歯の傍に積んであった麦束が残り少なになっていたのを認め、麦畑の方へ目を移していたと思うと、やがて、後帯にはさんでいた鎌を抜き持って、麦畑の方へヒョコリヒョコリと行ってしまう。麦を刈る気になったらしい。忽ち、麦の穂波の向うに見えなくなり、そちらからの鎌の音がザクリザクリと聞こえて来る。その一切の動作が、ひどくみじめな、頼り無いものに見える)
女 ……(黙ってその後姿を見送っている。やがて涙を拭き、火に小枝をくべたり、ヤカンのフタを取って覗いたりする。あと、煙を見詰めながらションボリして坐っている)
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(青年が上手の叢を出て、チョット此方を見ていてから戻って来る)
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青年 ……なるほど向うは随分深い谷のようですね!
女 ……へえ。
青年 板橋という部落は、川下ですか、この?
女 へえ、ズット下って……あの山の裾です。
青年 そうですか。(その方を眺める)
女 あの……お湯がわきやした。
青年 はあ、……おばあさんは?(喜びながら火のそばに腰をおろす)
女 (麦畑の方へ眼をやって)又、麦刈って――
青年 (女の注いで出す茶碗を受けて)すみません。(つづけさまに二三杯、うまそうに呑む)……御主人は出征なさっている……?
女 へ?……へえ。
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(間。――女は火を見つめている。青年は茶碗を手にしたまま、見るともなく麦畑の方に眼をやる。その方からは鎌の音がするだけで歌声は聞こえぬ)
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青年 ……いつも、こうですか? 実に、よく働く――
女 ……へえ。……そこへ、わしらが、年中、詰らねえ話ばかり持って来て。……おばさんの内を本家にして、親類の家がウンと有りゃして、……始終、どっかの家で、何か有ると直ぐやって来る……親類だけでは無く、さっきの人のように、村中の事から、よその家のもめごとまで、手に負えなくなると持ち込んで来やすから。……へえ、おばさんも大変でやす。……それに、自分の身の上の事では、へえ、笑ってばかりいて、人の事となると、直ぐに泣く……へえ、直ぐに泣き出すんだ。(又、涙声になっている)たまったもんで無え。……そうで無くても、へえ、自分とこの苦労だけで、背負い切れねえんでやす。
青年 ……内で、すると、困っている――?
女 ううん、困ると言っても……少うしだけんど田地も六七段有るし、小作もちったあやっているが、とんかく、働いてさえ居れば食うに困ると言う程では無えが、楽ではありません。……病人は居るし……伯父さんが、腎臓が悪くてもう三年ばかし寝たきりでやす。だもんだで、サダちゃんとおばさんがシンになって稼ぐのです。そこに、慎造さんとこの慎吉ちゃん――小さい子でやすが……慎造さんと言うのは、おばさんの二番目の息子でね、分家して甲州に行ってやすが……子供が多いので、孫の慎吉を一人だけおばさんが引取りやした……
青年 ……すると、おばさんの子供さんは全部で――
女 八人です。五人が男で、三人が女だ。……総領の慎太さんは満州で戦死しやした。……おかみさんも病気で死んだ。その子がサダちゃんでやす。……二番目の息子が、今言った甲州にいる慎造さんで、三番目は、よそへ養子に出て、四番目は出征中で、末の道雄さんは、こねえだ、ガダルカナルちゅう、とこで戦死しました。……娘は、みんなもう片づいてやして、その中の、まん中のスズさんの旦那が、やっぱし、今出征中……。
青年 ……すると、五人の息子さんの中で二人戦死なさって一人が出征中で――?
女 いえ、甲州の慎造兄さんも出征したんだけど、けがあして戻って来やした。
青年 そうですか。……
女 苦労の絶間が無えのです。……ことに、ガダルカナルで死んだ道雄さんと言うのは末の子じゃあるし、おばさん、じょうぶ[#「じょうぶ」は底本では「じようぶ」]可愛がっていたんで……黙ってなんにも言わねえでいるけど、へえ、つ
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