と歩み去る)
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(短い間……谷の方へ降りて行きながら歌い出している百姓の歌の声)
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青年 (貰ったおヤキを食べにかかりながら)……そんなに農作のことにくわしいんですかね、あのおばあさん?
中年 くわしいにも、なんにも、――わしら、これで農産の指導員みてえな事していますがね、年中叱られ通しだあ、ハハハ……こんで此処らあこんな山ん中だで、タンボでも畑でも、平坦地方とは加減がまるきり違いやすからね、そこで、なんせ、五十年からの功を積んでる仁だもの、喧嘩にゃならねえ。
青年 だけど、気の軽い、面白いおばあさんですね。(思い出して微笑)はじめ、お爺さんだとばかり思っていて――。
中年 そうですかい。いやあ、気が軽いだか重いだか――へえ、唄あ唄ってら。(百姓の唄声が風に乗って流れて来る。しばらくして、崖でも降りたのか、フッと消える。若い女は千歯の所に行って麦をこきはじめる)
青年 あれは何の歌です? この辺の昔からの?――
中年 なに、ズッとせんに、流れもんの炭焼きから習ったとか言うこったが、ほんとだか嘘だかな。お天気が良かったり、仕事の運びがうまく行ってる時なんぞにゃノベツ歌ってるが、改たまって歌えと言っても、歌うこっちゃ無え。いいかげん、デタラメづら。
青年 ハハハ……ノンキでいいなあ。
中年 (びっくりしたように相手の顔を注視するが、直ぐに笑い出す)佐様さ、ハハハハ……全く、とんだ、クワセモンのばさまさ。
青年 ……クワセモン――?
中年 あんた東京でやすか?
青年 はあ、いや……
中年 東京へんでは、近頃、だいぶ、この、野菜物なんぞ不自由だと言うが、白菜だとか大根だとか、どんな具合ですかね?
青年 さあ……僕には、どうも、よくわかりませんが――
中年 この辺からもチット東京にも出したいと思うとるが……こんな土地で、いろんな野菜は出来ねえが、白菜と大根それにジャガイモだけは、ほかに負けねえ……なんせ、しかし、荷受先が、以前から名古屋あたりばかりで、東京へは、まだ、へえ、いくらも出して無え。――んでも、この、東京あたりも、前からみると、だいぶ変ったそうでやすね?
青年 そう……変ったそうですね。
中年 まあ、へえ、わしらも、野菜位、町の人に食って貰いてえと思っているが、なんせ、荷造りをして運賃を見て積出しても、仕切値段が、こっちの手間代も出ねえと言う具合じゃ、一時はまあ何とかやっていても、永続きはしねえ訳でね。そこんとこ、何とかうまい具合にして貰えんもんかと思いやす。……こんな事言うと、又、ばさまに叱られるがね、ハハハ。(百姓の去った方を見る)
青年 ……(相手の言葉をうなずきながら聞いていたが)すると今のおばあさんは、その……どう言うんです? 何と言う――?
中年 ばさまの名前かね?……ハハハ、そいつは、村の者でも、ばさまばさまだ。なあシゲちゃん、お前、ばさまの名前知っているか?
女 ……(麦こきの手をチョット休めて、微笑)栃沢リキづら?
中年 ほう、知ってるか。(青年に)この人は、ばさまの姪っ子で[#「姪っ子で」は底本では「姪つ子で」]やしてね。俺も実は遠縁になっていやす……うむ、此処の村じゃ――板橋と言うて、村々と言ってはいるが、ホントは大字でね、小さな部落だ――大概縁つづきの家が多くて、栃沢と言う苗字の家だけでも十二三軒有る。そんでいて、りき、……栃沢りき……おりきさんだなあ、ハハハ――ばさまの名を知っている者あ、珍らしい位のもんだ。それもそうだらず。へえ、芋んこみてえな、よごれたばさまが畑へえずり廻ってるだけだもの。ハハハ(と自分の形容に自ら笑う)
青年 ……(相手の話しぶりに微笑)
中年 ハハハ……全体、あのばさまなんて者は、へえ、村で……俺達の村で、へえ、なんと言ったらええだが……(この或る意味では雄弁な男が、手に取るように知っている老婆のことに就いて説明しようとすると、どこからどんな風に言えばよいのか直ぐには言葉が見つからない。しまいに若い女を振返って)……なあ、そうだらず?
女 へい……(これは微笑して、多くを語ろうとしない)
中年 ……なにさ……うん、あたりめえの、ばさまだ。どこの村にだって同じようなばさまの二人や三人、いつでも居るべし。川一つ山一つ越しゃ、へえ、誰一人知りゃしねえ。そんでも、ばさま居てくれねえと、やっぱし、こんで、俺達チョット困らあ。
青年 (おかしくなって)……よくわかりません。
中年 ……(うまく言えないので、自分に少しかんしゃくを起して、煙管を掴み、少しポンポンした口調になっている)んだがらさ……全体この……俺達が、なにしに此処へ来たと思いやす?(少し逆ねじの語勢)
青年 (やや閉口して)……先刻話していられた、その、家を畳んで、甲府の方へ行くと
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