けねえものは、やってけねえ……甲府の娘の内も見てやんねえばならねえし、暮しが二手に分れていて物入りもかかる。このまま行けば両方とも首くくりもんだ。んだから甲府へ出て家を一つにして俺あ職工になる。行くなと言われる皆の衆の話はわかるけれど、そんじゃ、俺達の一家で首くくれと言うのか。……どうでも俺あ行く。行くのが悪ければ、仕方が無えから、俺とこ、好きなようにしてくれ。……こうだ。まるでもう、血相変えていやす。喜十の身になって見りゃ無理も無え。無理も無えことが、ようくわかっているから、俺たちにも、これ以上……。
百姓 ふむ……んでも、先ず、秋になって取入れをすます迄は、これで、だいぶ間もあるから、野郎にようく考え直さして――
中年 それが、へえ、喜十の口ぶりでは、秋になっての話がうまく運ばねえような見込みだと、青田のまんま、今直ぐにでも売っ払って、年貢は金にして払ってでも、国越えをする気らしいで……へえ。
百姓 ……そいつば思い切ったもんだ。……(草の上にアグラを組んだ足の、わらじを穿いた足の先きで、夜なべ仕事の癖ででもあるか、その辺の草の葉でワラジを[#「ワラジを」は底本では「ワラヂを」]編む手附きを無意識にやりながら、語られている問題を考えているのか考えていないのか、遠くを見ている……)
中年 ……(落着いて、煙管に煙草を詰め代え[#「詰め代え」は底本では「詰め代へ」]ながら、百姓の横顔を見ている。……青年は先程から握り飯を食べながら此の場の話に耳を傾けていたが、話の筋道はよくのみこめないながら、重要な話であることはわかるだけに、百姓が黙り込んでポカンとなってしまったことも、それを黙って待っている中年男の様子も、少し腑に落ちぬため、二人を見くらべている)
百姓 うむ……(とうとう返事はしないで、フと若い女の方へ眼を移し)シゲ……お前は、また、なんの話だあ?
女 ……わしあ、後で、なにするから――(下げて来たフロシキ包みを解き、中から新聞紙に包んだ白い丸い物をいくつか出して、草上にひろげる)少しばかし拵えて来たから……へえ、ソバ粉が残りもんで、うまかあ無えけど……
百姓 そうかい、そいつは御馳走だ。(丸い大きなダンゴの様なものを一つ掴み取って、紙を中年男の方へ押しやる)
中年 へえ、今頃、ソバのおヤキは珍らしいな。(遠慮なくこれも一つを取って食う。相談事などは何処かへ行ってしまったような景色である)
百姓 (食べながら)……お前さまも一つ食って見なせえ。(一つを取って、握り飯を食べ終って水筒を開けかけている青年に手渡す)
青年 なんですか、これ?
百姓 おヤキと言ってな、ここいらの食い物で、大して、うまかあ無え。(人が土産にくれたものをズケズケと[#「ズケズケと」は底本では「ヅケヅケと」]言う)
中年 (若い女を顧みてクスリとして)ばさまにかかっちゃたまったもんで無え。(青年の方へ眼を移して笑いながら、食っている)
女 ……(ニッコリして、これも青年を見る)
青年 やあ!(口をつけて呑もうとした水筒がスッカリ空である)
百姓 水かえ? 水なら……(傍のムシロの端に置いてある黒いヤカンと茶碗を取ってやる)
青年 すみません……(ヤカンから茶碗に水を注ぐが、水はチョロチョロと少しばかりこぼれて来るだけ。変に思ってヤカンのフタを開いて覗いて見て笑い出す)
百姓 ……?(口を動かしながら青年の顔を見る)
青年 川はどっちに有りますか?(立ち上る)
百姓 うん?
青年 汲んで来ます。
百姓 あ、そうかえ!(大きな声を出す)そうそう、うっかりしていた、空だったて! ハハハハ、阿呆だ、俺は!(立って)よしよし、へえチョックラ汲んで来やす。(青年からヤカンを取る)
青年 いや、自分が行きますから。(上手を指して)この下でしょう?
百姓 下は下でも、ここいらの沢あ深いで、五六丁も谷をおりる。第一、路なんぞ無えから、お前さまにゃ無理だ。
青年 でも、それじゃ――
女 (既に歩き出している百姓の後を追うようにして)おばさん、水汲みなら、わしが行って来やすから。
百姓 なにさ、俺あ、ついでに川っぷちのタンボの水加減見て来なきゃなんねから……お前はそこで休んでいな。
女 水、おとすんかい? 水おとす位の事なら、わしにだって出来るから。
百姓 おとすんじゃ無え、水口の温度見て来るだ。今日ら、少し煮えてるずら、今丁度稲あホキてる最中だからな、下手あするとしくじらあ、……(立停って)それとも、シゲにタンボの水加減、わかるか?(からかうようにニヤニヤして女を見る。女はモジモジしている)
中年 やあ、そいつはおシゲさん、やめにしときな。此処らの稲作のことで、そのばさまにかなう者は居るもんじゃ無え。(笑う)
百姓 ハッハハ。(笑いながら、上手のカシバミの叢を分けてサッサ
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