ホトトギス』を今少し機関の備わった堂々とした雑誌にして発行したらよかろうという考を持《もっ》ていたのであった。私がその事を快諾さえすれば、氏は十分に力を尽してくれる考があったことと想像するがその頃の『ホトトギス』の事情はその要求を容《い》れることが出来なかった。これを詳しく書くのは面倒臭いが、要するに四方太君などは漱石氏の文芸に不服で、それよりも純正の写生文雑誌として世間の人気などに頓着なく押し進みたいという希望を持っていたし、発行人としての私はそんなことをして損ばかりしていてもやり切れないから、少しは世間に面《つ》らを出して人気のあるものにしたいと、漱石氏の作品などを歓迎する傾きがあった。けれどもまた私としては、漱石氏のような考のもとに全然『ホトトギス』を改革してしまって、四方太君らを排斥してしまうことは出来ないし、また世間の雑誌の如く原稿料を潤沢にして漱石氏はじめ多くの新進作家諸君を優遇するとなると、ただ鳴るが面白いことになってしまって『ホトトギス』の世帯はとてもやり切れない、と考えたところから、いつも四方太君などに不平を抱かせながら、漱石氏らにもまた慊《あきた》らぬ思いをさせるような態度で、その日暮《ひぐらし》に雑誌を出していた。
明治三十九年以後の漱石氏と私との関係は、今言ったような有様で、ある時は漱石氏から私に対して雑誌編輯の上の督励となったり、後進の推薦となったり、また一般文壇に対する不平や懊悩《おうのう》を訴えて来るような場合も少くなかったが、今手紙を取り出してみても、最も多いのは私の原稿の依頼に対して何日までに書くとか、何枚書いたとかこう忙《せわ》しくってはやり切れないとかいう用談の方が多くなって来て居る。今その手紙について一々当時の聯想を書いてみたら面白いのであるが、手紙だけの分量でもかなり多い上にその手紙だけでほぼ当時の状態も想像せられることと思うから左に明治三十九年の手紙で、手元に残って居るもの一切を掲載することにする。
○
明治三十九年一月二十六日(封書)
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その後御無沙汰仕候。二月の『ほととぎす』に何か名作が出来ましたか。僕つらつら思うに『ホトトギス』は今のように毎号版で押したような事を十年一日の如くつづけて行っては立ち行かないと思う。俳句に文章にもっと英気を皷舞して刷新をしなければいかないですよ。と申して別に名案もないからただ主人公たる君が大奮発をするより外に仕方がない。『文庫』『新声』など一時景気のよいものが皆駄目になるのは時候|後《おく》れだからと思います。『ホトトギス』も売れるうちに色々考えて置かぬとならんでしょう。まず巻頭に毎号世人の注意をひくに足る作物を一つずつのせる事が肝心ですね。それから君は毎号俳話をかいて、四方太は毎号文話でもかいたらどうです。四方太は原稿料が出ない、といってこぼして居るがあの男はいくら原稿料を出しても今の倍以上働くかどうか危《あや》しいものだ。とにかくもっと活気をつけたいですね。小生余計な世話を焼いて失敬だが『ホトトギス』が三、四千出るのは寧ろ異数の観がある、決して常態ではない。油断をしては困る事になると思います。そんなら僕に何かかけと来るかも知れんが僕は取りのけ別問題です。ちょっと手紙をかく序があるからこれを差し上げます。苦い顔をしてはいけません。頓首。
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一月二十六日[#地から3字上げ]金
虚子様
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明治三十九年三月二十六日(封書)
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拝啓 新作小説存外長いものになり、事件が段々発展ただ今百〇九枚の所です。もう山を二つ三つかけば千秋楽になります。「趣味の遺伝」で時間がなくて急ぎすぎたから今度はゆるゆるやる積《つもり》です。もしうまく自然に大尾《たいび》に至れば名作、然らずんば失敗、ここが肝心の急所ですからしばらく待って頂戴。出来次第電話をかけます。松山だか何だか分らない言葉が多いので閉口。どうぞ一読の上御修正を願たいものですが御ひまはないでしょうか。艸々
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[#地から3字上げ]金
虚子先生
○
明治三十九年四月一日(封書)
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拝啓 雑誌五十二銭とは驚いた。今まで雑誌で五十二銭のはありませんね。それで五千五百部売れたら日本の経済も大分進歩したものと見てこれから続々五十二銭を出したらよかろうと思います。その代りうれなかったらこれにこりて定価を御下げなさい。『中央公論』は六千刷ったそうだ。『ほととぎす』の五千五百は少ないというて居りました。来月もかけとは恐れ入りましたね。そうは命がつづかない。来月は君の独舞台《ひとりぶたい》で目ざましい奴を出し給え。雑誌がおくれるのはどう考えても気になる。三十一日の晩位に四方へ廻して一日から売りたかったですな。校正は御骨が折れましたろう多謝々々。その上傑作なら申し分はない位の多謝に候。『中央公論』などは秀英舎へつめ切りで校正しています。君はそんなに勉強はしないのでしょう。雑誌を五十二銭にうる位の決心があるなら編輯者も五十二銭がたの意気込みがないと世間に済みませんよ。いやこれは失敬。
僕試験しらべで多忙。しかも来客頻繁。どうか春晴に乗じて一日川があって帆懸舟の通る所へ行って遊びたい。それから東京座の二十四孝というものが見たい。今月は『新声』でも『新潮』でも手廻しがいい。みんな三月中に送って来た。これを見ても『ホトトギス』は安閑として居てはいけない。然しそれは漱石の原稿がおくれたからだと在っては仕方がない。恐縮。
藤村《とうそん》の『破戒《はかい》』という小説をかって来ました。今三分一ほどよみかけた。風変りで文句などを飾って居ない所と真面目で脂粉の気がない所が気に入りました。何やら蚊やら以上。
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四月一日[#地から3字上げ]金
虚先生
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明治三十九年四月四日(葉書)
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「畑打ち」淡々として一種の面白味あり。人は何だこんなものと通り過ぎるかも知れず。僕は笹の雪流な味を愛す。ただ学士の妻になり損なったものが百姓になって畠を打つほど零落するのは普通でない。「小説家」という文はわる[#「わる」に傍点]達者である。「寮生活」も多少軽薄也。しかも両篇とも僕の文に似て居るから慚愧《ざんき》の至りだ。これにくらぶれば「素人浄瑠璃《しろうとじょうるり》」などの方遥かに面白し。
藤村の『破戒』というのを読んで御覧なさい。あれは明治の小説として後世に伝うるに足る傑作なり。『金色夜叉《こんじきやしゃ》』などの類にあらず。
五千五百部はうれましたか。五十二銭が高いと思ったら『明星』も五十二銭だ。随分思い切ったのが居る。その代り『明星』はうれません。
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四月四日[#地から3字上げ]夏目金之助
高浜清様
○
明治三十九年四月十一日(封書)
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拝啓 僕名作を得たり、これを『ホトトギス』へ献上せんとす、随分ながいものなり、作者は文科大学生鈴木三重吉君。ただ今休学郷里広島にあり。僕に見せるために態々《わざわざ》かいたものなり。僕の門下生からこんな面白いものをかく人が出るかと思うと先生は顔色なし。まずは御報知まで 艸々。
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四月十一日[#地から3字上げ]金
虚子先生座下
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明治三十九年四月二十八日(葉書)
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拝啓 毎月清国南京へ送って頂いた『ホトトギス』は今月から御やめにして下さい。大将事日本へ帰って参ります。どうか日本の東京の番地へやって頂戴。その番地はただ今ちょっと忘れた。
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[#地から3字上げ]夏目金之助
高浜清様
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明治三十九年四月三十日(封書)
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啓
一金参拾八円五拾銭也
一金壱百四拾八円也
計壱百八拾六円五拾銭也
右は「吾輩は猫である(十)」及び「坊っちゃん」の原稿料として正に領掌仕候也。
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四月三十日
[#地から3字上げ]夏目金之助※[#丸印、180−1]
俳書堂雑誌部御中
○
明治三十九年五月十九日(封書)
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虚子先生|行春《ゆくはる》の感慨御同様惜しきものに候。然る所小生卒業論文にて毎日ギュー。閲読甚だ多忙。随って初袷の好時節も若葉の初鰹《はつがつお》のと申す贅沢《ぜいたく》も出来ず閉居の体。しかも眼がわるく胃がわるく散々な体。服薬の御蔭にて昨今は腹の鈍痛だけは直り大に気分快壮の方に候。いつか諸賢を会して惜春の宴でも張らんかと存候えども当分|駄目《だめ》。ちょっと伺いますが碧梧桐君はもう東京へは来らんですぐ行脚にとりかかりますか。
卒業論文をよんで居ると頭脳が論文的になって仕舞には自分も何か英語で論文でも書いて見たくなります。決して猫や狸の事は考えられません。僕は何でも人の真似がしたくなる男と見える。泥棒と三日居れば必ず泥棒になります。以上。
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五月十九日[#地から3字上げ]金
虚子先生
○
明治三十九年五月二十一日(封書)
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拝啓 別紙の如き妙なものが参り候。筆者は木村秀雄とて熊本に住む人なれど逢うた事も話をしたこともなければ学生やら紳士やら知らず。ただ今論文校閲中にて熟読のひまも無之《これなく》ただ御高覧のために御廻し致候。『ホトトギス』へのせるともよすともその辺は勿論、御随意に候。以上。
[#ここで字下げ終わり]
五月二十一日[#地から3字上げ]金
虚子先生
のせぬ時は御保存を乞う
○
明治三十九年五月二十九日(封書)
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若葉の候も大分深く相成候。小生フランネルの単衣を着て得々|欣々《きんきん》として而《しか》も服薬を二種使用致し居候。「千鳥」の原稿料御仰せの通にて可然《しかるべく》かと存候。「柳絮行《りゅうじょこう》」はつまらぬ由。小生もゆっくりと拝見する勇気今は無之候。『漾虚集』本屋より既に献上仕り候やちょっと伺い候。まだならば早速上げる事に取計わせます。以上。
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五月二十九日[#地から3字上げ]金
虚子先生
○
明治三十九年六月某日(封書)
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拝啓 小生近来論文のみを読んだ結果頭脳が論文的に相成「猫」などは到底かけそうに無之候えども、若し出来るならば七月分に間に合せ度と存候。然しこれは当人があてにならぬ事故君の方ではなおあてにならぬ事と御承知被下度候。薄暑の候南軒の障子を開いて偶然庭前を眺めて居るのは愉快に候。少々眼がわるくて弱り候。
碧梧桐「趣味の遺伝」を評して冗長|魯鈍《ろどん》とか何とか申され候。魯鈍には少々応え申候。大将はいつ頃出発致候や。あれは二年間日本中を巡廻する計画の由なれどきっと中途でいやになり候。もしやりとげればそれこそ冗長魯鈍に候。近来一向に御意得ず。たまたま机上清閑|毛穎子《もうえいし》を弄するに堪えたり。因って数言をつらねて寸楮《すんちょ》を置き二階に呈す。艸々。
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六月吉日[#地から3字上げ]金
虚子先生
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明治三十九年七月三日(封書)
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啓上 その後御無沙汰。小生漸く点数しらべ結了のうのう致し候。昨日『ホトトギス』を拝見したる所今度の号には「猫」のつづきを依頼したくと存候とかあり候。思わず微笑を催したる次第に候。実は論文的のあたまを回復せんためこの頃は小説をよみ始めました。スルと奇体なものにて十分に三十秒位ずつ何だか漫然と感興が湧いて参り候。ただ漫然と湧くのだからどうせまとまらない。然し十分に三十秒位だから沢山なものに候。この漫然たるもの
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