の手紙は出してもらわない方がよい。どうでしょう、あの主意をあなたが布衍《ふえん》して、そうしてあなたの意見も加えてあなたの文章とかきかえて『ホトトギス』へ出して下さっては。あの手紙のうちで困るのは「現代の青年はカラ駄目だ」という事と「普通の小説家なら……」という自讃的の語である。自分が小説をかいて、人の小説を自分のに比べて攻撃するのはいやな心持ちだ、それから「現代の青年に告ぐ」という文章中には大に青年を奮発させる事を書くのだから「カラ駄目」じゃちと矛盾してしまいます。まず用事だけにして置きます。
 森田流の人には当分シャボテン主義は分りません。やはりロシヤ主義で進歩するがよかろうと思います。
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   十六日[#地から3字上げ]金
     高浜様
      ○
明治三十九年十月十八日(封書)
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 拝啓手紙は『国民新聞』へ御出しのよし。ちっとも構いません。出したら出したで小説でも論文でも出来ますから、決して御心配には及びません。本当は現代の青年の一部のものにあの手紙を見せてやりたいのですから大に結構であります。今日|松根《まつね》が来ました
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