松家の所有になってから直ぐその家に隣ってやや広い座敷が二間ばかりある時々の集会などに用うる一棟の別座敷が作られた、その方に集って申合せをしたのであった。その申合せをして居る時に、藤野氏の家人の声がして、
「今一人の書生さんが見えて、夏目さんがどうとか仰しゃるのですが……」とその意味を解しかねたように言った。藤野翁はそれに答えて、
「それは何か間違であろう、河東さんや高浜さんはおいでになって居るが、夏目さんはおいでになっていない、とそう返事をおし。」と言った。一座の人は皆黙々として思いもよらぬその話にあまり意をとめなかったようであったが、私は二十年前のことがたちまち頭に閃《ひらめ》いて、
「それは夏目君が以前この家に居たことがあった、ということに就いて何か訊《き》きに来たのであろう。」と言った。
「夏目君がここにいたとは?」と藤野翁は私の顔をいぶかしそうに見た。その他の人も皆不思議そうに私の顔を見た。そこで私は、
「とにかくその書生さんに会って見ましょう。」と藤野氏の家人に言って、下駄を突っかけて表に出て見た。そこには大学の制帽を被った一人の書生さんが突っ立っていた。
「どういう御用です
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