論に対して氏は案外にも連句賛成論者であった。四方太君もまた賛成論者の一人であったので三人はたちまちその席上で連句を試むることになった。氏は連句の規則には不案内であったが、私の言うことを聞いて何ン遍も作りかえているうちに規則に合った句が出来た。その規則に合った句はもとよりのこと、規則に合わなくって捨てた句も、独立した一つの句としては皆|振《ふる》ったものであった。試にその一、二句を抜載して見れば、
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後の月ちんばの馬に打ち乗りて
鉄《かな》網の中にまします矢大臣
銘を賜はる琵琶の春寒
意地悪き肥後|武士《ざむらひ》の酒臭く
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 この連句を作ったことがもとになって、私と漱石氏とは俳体詩と名づくるものを作ることになった。これは連句の方は意味の転化を目的とするものであるが、十七字十四字長短二句の連続でありながら、意味の一貫したものを試みて見ようというのが主眼であって、私はそれを漱石氏に話したところが、氏は無造作に承諾した。そうして忽ち「尼《あま》」の一篇が出来上った。それは私と漱石氏との両吟であったのだが、漱石氏の句は華やかな、調子の高いもので、殊
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