んは裏にいらっしゃるから、裏の方に行って御覧なさい。」とでも言ったものであろう、私はその家の裏庭の方に出たのであった。今言った蓮池や松林がそこにあって、その蓮池の手前の空地の所に射※[#「土へん+朶」、第3水準1−15−42]《あずち》があって、そこに漱石氏は立っていた。それは夏であったのであろう、漱石氏の着ている衣物《きもの》は白地の単衣《ひとえ》であったように思う。その単衣の片肌を脱いで、その下には薄いシャツを着ていた。そうしてその左の手には弓を握っていた。漱石氏は振返って私を見たので近づいて来意を通ずると、
「ああそうですか、ちょっと待ってください、今一本矢が残っているから。」とか何とか言ってその右の手にあった矢を弓につがえて五、六間先にある的をねらって発矢《はっし》と放った。その時の姿勢から矢の当り具合などが、美しく巧みなように私の眼に映った。それから漱石氏はあまり厭味《いやみ》のない気取った態度で駈足《かけあし》をしてその的のほとりに落ち散っている矢を拾いに行って、それを拾ってもどってから肌を入れて、
「失敬しました。」と言って私をその居間に導いた。私はその時どんな話をしたか
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