関係なき也。天下の人が虚子、露月を知らんとするは句の上にあり。「頬をかむ」の「顔をなめる」のと愚にもつかぬ事を聞いて何にかせんや。方今は『ほととぎす』派全盛の時代也。然し吾人の生涯中もっとも謹慎すべきは全盛の時代に存す。如何。子規は病んで床上にあり、これに向って理窟を述ぶべからず。大兄と小生とはかかる乱暴な言を申す親みはなきはずに候。苦言を呈せんとして逡巡するもの三たび、遂に決意して卑辞を左右に呈し候。これも雑誌のためよかれかしと願う微意に外ならざれば不悪御推読願上候。以上。
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   十二月十一日[#地から3字上げ]漱石
     虚子様
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横顔の歌舞伎に似たる火鉢哉
炭団いけて雪隠詰の工夫哉
御家人の安火を抱くや後風土記
追分で引き剥がれたる寒かな
  正
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 当時の寓居は熊本市内坪井町七八とある。
 この手紙の初めの方にある紫溟吟社というのは、その頃地方に起った俳句団体の古いものの一つであって、この事に就いては数号前の『ホトトギス』に雪鳥、迂巷の両君が書いたことがある通り、漱石氏を中心にして起った俳句の団体であ
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