の関係がだんだん密接になって来て、今日では文学者で新聞か雑誌に関係を持たないものはないようになった。とそういう意味のことを実例を引いて述べたものであった。それから同じ年の八月十日発行の二巻十一号に「小説エイルヰンの批評」という十二、三頁に渉った文章を送ってくれた。それは丁度その頃英国で評判の高い小説にエイルヰンというのがあって、それは出版になってからまだ一年も経たなかったのであるが非常な勢いで流行していた。漱石氏の注文したのは二、三版の頃であったのにそれが日本に到着した頃は十三版のものになっていた。その小説の梗概と批評とを述べたものがこの「小説エイルヰンの批評」の一篇であった。イギリス文学の主な新刊書は必ずこれを購求して読破することを怠らなかったことは漱石氏の生涯を通じて一貫した心掛であったことが此の一事を見ても分る。また漱石氏が新聞雑誌に寄稿したということは恐らく『ホトトギス』に寄せたこれらの篇をもって最初のものとすべきであろう。
明治三十二年の十二月十一日の日附の手紙が私の手許にある。それは次のような文章である。
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その後は大分御無沙汰御海恕|可被下《く
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