虚子様榻下
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梅散つてそゞろなつかしむ新俳句
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 前にも言った通り『新俳句』は我ら仲間の一番最初の句集で、民友社から出版されたものであった。鳴雪老人の跡釜云々とあるのは、この頃鳴雪翁は暫く俳句界に遠ざかるといって、句作はもとより、俳句界との交際も絶っていられた。それを言ったものである。
 前の手紙やこの手紙から推して、この頃の漱石氏はどこまでも俳句界の仲間であると自ら考えて、句作に怠りながらもなお全然それから遠ざかってしまう考のなかったことは明白である。この手紙も前の大仁村四百一番地から出て居る。

    四

 熊本に居る頃の漱石氏は何度上京したか私はそれを知悉《ちしつ》しない。ただ今も記憶に残っている一つの光景がある。それは漱石氏が何日の何時の汽車で新橋から帰任するということを知らせて来たので私は新橋へ見送りに行った。そうして待合室に立っている洋服姿の漱石氏を見出したので汽車の出るまで雑談をしていた。いよいよ汽車が出る場合になって私は改札口まで漱石氏を見送って行った。私の外に漱石氏を見送る人は一人もない様子であったのだが
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