かけて、
「愉快ですねえ。」と言った。漱石氏も上から、
「フフフフ愉快ですねえ。」と答えた。私はまた下から、
「洋行でもしているようですねえ。」と言った。漱石氏はまた上から、
「そうですねえ。」と答えた。二人はよほど得意であったのである。その短い間のことが頭に牢記されているだけで、その他のことは一向記憶に残って居らん。宮島には私はその前にも一、二度行ったことがあるために、かえってその漱石氏と一緒に行った時のことは一向特別に記憶に残って居らん。それからいよいよ宮島か広島かで氏と袂《たもと》を分ったはずであるがその時のことも記憶にない。
 その時漱石氏は松山の中学校を去って新しく熊本の第五高等中学校の教師となって赴任したのであった。私はそれから東京の下宿に帰り、漱石氏は熊本の高等学校に教鞭をとって、互に暫《しばら》く無沙汰をして居ったものであろう。此の手紙のうちで漱石氏が褒《ほ》めてくれた書牘体の一文云々というのは、その頃雑誌『日本人』に連載して居った俳話の一章でその後民友社から出版した我ら仲間の最初の俳句集『新俳句』の序文にしたものがそれである。それから『世界の日本』云々とあるのはその頃
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