石
虚子様
その奥には漾虚碧堂蔵書という隷書《れいしょ》の印が捺《お》してある。さてこの手紙を読むにつけていろいろ思い出すことがある。神仙体云々のことは既に前文に書いた通り、漱石氏と道後の温泉に入浴してその帰り道などに春光に蒸されながら二人で神仙体の俳句を作ったのであった。それから次ぎに宮島にて紅葉に宿したることなど云々とあるのはまた別の思出がある。私は春から秋までかけて松山におったのではなかったように思う。私のところに残って居る漱石氏のただ一枚の短冊にこういう句が書いてある。それは「送別」としてあってその下に、
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永き日や欠伸《あくび》うつして別れ行く 愚陀
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と書いてある。愚陀《ぐだ》というのはその頃漱石氏は別号を愚陀仏といっていたのであった。この俳句から推して考えると、私は春に一度東京へ帰ってそれからまた何かの用事で再び松山に帰ったものと思われる。この短冊から更に聯想するのであるが、その頃漱石氏は頻《しき》りに短冊に句を書くことを試みていた。こう考えているうちに、だんだん記憶がはっきりして来るように覚えるのであるが、確
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