響きが私の耳に聞きとれた。それは苦し気の呼吸の中に私の耳にそう聞えた響きに過ぎなかったかも知れない。その後また、
「水、水。」と二、三遍繰返して言った言葉を私は確かに聞きとった。看護婦もその声に応じて水を与えたのであった。私はその臨終の模様から通夜の時の容子などを書きたいという考がないでもないが、これは別に人がある事と考えるから此処《ここ》には略する事として、これでこの稿を終る。左には明治四十年から以後の氏の私に当てた手紙の全部を掲載する。ここに掲げる明治四十二年以後の手紙の少ないのは、もともと受取った手紙の少ないのでもあろうが、その頃から私は人の手紙を保存するという煩しさを感じ始めたので、大概の物は反古にしてしまった。氏の手紙も大分それがあったことと思う。此処に収録した二通はものに紛れて残っていたものである。
(時日不明、明治四十年一月と推定す。)(葉書)
[#ここから1字下げ]
拝啓。来る三日木曜日につき大に諸賢を会し度と存候。かねて松根東洋城《まつねとうようじょう》が御馳走を周旋するといっていたから手紙を出して置きました。どうか来てまぜ返して下さい。
[#ここで字下げ終わり]
前へ
次へ
全151ページ中110ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
高浜 虚子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング