疎々しくなる傾きになってしまった。いわゆる「出来るだけ借銭をするのと同じように出来るだけ義理を欠く」方針の下に、東京に出て来て『ホトトギス』のために仕事をしてしまえば直ちに鎌倉に引き挙げ、何人を訪問する事もしなかった。自然漱石氏の家を訪《と》わぬ事も久しい間の事であった。漱石氏が修善寺で発病した時、同地にこれを見舞いその後胃腸病院に入院している時に一度これを見舞い、尚おその南町の邸宅を一両度訪問した以外殆ど無沙汰をし続けにしてしまった。漱石氏もまた鎌倉の中村|是公《これきみ》氏の別荘に遊びに行く序《つい》でに一度私の家の玄関まで立寄ってくれた事があった位の事であった。漱石氏の最後の手紙に、
「身体やら心やらその他色々の事情のためつい故人に疎遠に相成るようの傾」云々とあるのは独り漱石氏の感懐のみではない。かくの如くして私は氏が危篤の報に接して駆け付けた時、病床の氏は、後に聞けばカンフル注射のためであったそうであるが、素人目には未だ絶望とも思われぬような息をついていたので、私は医師の許を受けて、
「夏目さん、高浜ですが、御難儀ですか。」と声を掛けた。
「ああ、有難う、苦しい。」というような
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