の学校に関係を持たねばならぬような場合が生じたら、その節は一番に早稲田大学の方に交渉を開く事にしよう。その点だけは堅く約束して置くが、今はそういう考は持たない。」とこういう返事であった。
漱石氏はまた朝日新聞社員となった以上新聞のために十分の力を尽して職責を空しくしないようにしなければならぬという強い責任感を持っていた。そこで新聞社の方では他の雑誌、少くともその出身地である『ホトトギス』に時々稿を寄せる位の事は差支ない事としていたらしかったが――これは私が渋川玄耳《しぶかわげんじ》君から聞いた事であった――漱石氏は他の雑誌に書くとそれだけ新聞に書くべき物を怠るようになるという理由から新聞以外には一切筆を取らないと定めたようであった。これは創作が道楽でなくなって職業となり原稿紙に向うことに興味の念の薄くなって来た以上止むを得ぬ傾向と言わねばならなかった。私もこれを強いて要望する気にもならなかった。
私が『国民新聞』のために国民文学を創《はじ》めた当時は能く漱石氏の談話筆記を紙上に載せた。また漱石氏を芝居に引ぱって行ってその所感を聞きとるような事もした。しかしそれも間もなく『東京朝日』
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