ほど重きを置かず、漱石氏が東京俳友の消息に憧れているということに就いてもそれほど意をとめなかったのであった。果して氏の要求通り私は東京俳友の消息を氏に知らすことをしたかどうか。いわゆる東京の俳友の消息なるものが私にとってそれほど興味あることでなかったがために、それらの通信も怠り勝ちではなかったろうかとも思う。後年は文壇の権威をもって自任した漱石氏も、その頃は僅かに東京俳友の消息を聞いて、それを唯一の慰藉とする程度にあったのだと思うと面白い。なおこの時の漱石氏の寓居は熊本合羽町二百三十七番地であった。
次ぎに私の手にある漱石氏の手紙は明治三十一年一月六日の日附のものである。それはこういう文句のものである。この間にも若干の手紙を受取ったのであろうけれども今は手許に見当らぬ。
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其後不本意ながら俳界に遠ざかり候結果として貴君へも存外の御無沙汰申訳なく候。
承れば近頃御妻帯の由、何よりの吉報に接し候心地千秋万歳の寿をなさんがため一句呈上いたし候。
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初鴉《はつからす》東の方を新枕《にひまくら》
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小生旧冬より肥後小天(?)と申す温泉に入浴、同所にて越年《おつねん》いたし候。
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かんてらや師走の宿に寐つかれず
酒を呼んで酔はず明けゝり今朝の春
甘からぬ屠蘇《とそ》や旅なる酔心地《ゑひごゝち》
うき除夜を壁に向へば影法師
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御大喪中とある故
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此春を御慶も言はで雪多し
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一年の計は元日にありと申せば随分正月より御出精、明治三十一年の文壇に虚子あることを天下に御吹聴|被下度《くだされたく》希望の到りに不堪候以上。
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正月五日夜[#地から3字上げ]漱石
虚子君
乍末筆御令閨へよろしく御鳳声願上候。
不本意ながら俳句界に遠ざかったとあるのはどういう原因であったのであろう。私は氏の熊本時代の生活を審《つまびらか》にしないから分らない。この手紙の中にある俳句はどれも皆面白くない、当年の氏の俳句は決してこんなにつまらぬものではなかったと記憶する。二十九年から三十年頃私の手許に受取った句は私から子規居士に転送したり、そうでなければ当時私の受持って居った『国民新聞』の俳句欄に載せたりなどしてその結果『春夏秋冬』の中《うち》に収めたものが多いように記憶している。今|生憎《あいにく》手許に『春夏秋冬』がないが、
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累々《るゐ/\》として徳孤ならずの蜜柑《みかん》哉
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という句の如きはその一例であったように記憶する。右の手紙は熊本県飽託郡大仁村四百一番地とある。
次に受取った手紙は同じく三十一年の三月二十一日の日附のものである。
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その後は存外の御無沙汰、平に御海恕|可被下《くださるべく》候。御恵贈の『新俳句』一巻今日学校にて落手、御厚意の段難有奉拝謝候。小生爾来俳境日々退歩、昨今は現に一句も無之《これなく》候。この分にてはやがて鳴雪《めいせつ》老人の跡釜を引き受くることならんと少々寒心の体に有之候。
子規子病気は如何に御座候や、その後これも久しく消息を絶し居り候こととて、とんと様子もわからず候えども、近頃は歌壇にての大気焔に候えばまずまず悪しき方にてはなかるまじと安心いたし居り候。先は右御礼のみ、草々如斯に御座候。頓首。
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三月二十一日[#地から3字上げ]愚陀仏
虚子様榻下
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梅散つてそゞろなつかしむ新俳句
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前にも言った通り『新俳句』は我ら仲間の一番最初の句集で、民友社から出版されたものであった。鳴雪老人の跡釜云々とあるのは、この頃鳴雪翁は暫く俳句界に遠ざかるといって、句作はもとより、俳句界との交際も絶っていられた。それを言ったものである。
前の手紙やこの手紙から推して、この頃の漱石氏はどこまでも俳句界の仲間であると自ら考えて、句作に怠りながらもなお全然それから遠ざかってしまう考のなかったことは明白である。この手紙も前の大仁村四百一番地から出て居る。
四
熊本に居る頃の漱石氏は何度上京したか私はそれを知悉《ちしつ》しない。ただ今も記憶に残っている一つの光景がある。それは漱石氏が何日の何時の汽車で新橋から帰任するということを知らせて来たので私は新橋へ見送りに行った。そうして待合室に立っている洋服姿の漱石氏を見出したので汽車の出るまで雑談をしていた。いよいよ汽車が出る場合になって私は改札口まで漱石氏を見送って行った。私の外に漱石氏を見送る人は一人もない様子であったのだが
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