なくとも貸席など可然《しかるべき》か。これは御選定にまかせ候。そうなると公然会費を徴集する必要相生じ候。そうなると出るものが少なくなると存じ候。また報知の御手数も大兄を煩わす方がよくなって参り候。以上につき御考如何。ちょっと伺上候。毎日来客無意味に打過候。考えると己《おれ》はこんな事をして死ぬはずではないと思い出し候。元来学校三軒懸持ちの、多数の来客接待の、自由に修学の、文学的述作の、と色々やるのはちと無理の至かと被考候。小生は生涯のうちに自分で満足の出来る作品が二、三篇でも出来ればあとはどうでもよいという寡慾《かよく》な男に候処、それをやるには牛肉も食わなければならず玉子も飲まなければならずという始末からして、遂々心にもなき商買に本性を忘れるという顛末《てんまつ》に立ち至り候。何とも残念の至に候。(とは滑稽ですかね)とにかくやめたきは教師やりたきは創作。創作さえ出来ればそれだけで天に対しても人に対しても義理は立つと存候。自己に対しては無論の事に候。「一夜」御覧被下候由難有候。御批評には候えどもあれをもっとわかるようにかいてはあれだけの感じは到底出ないと存候。あれは多少分らぬ処が面白い処と存候。あれを三返精読して傑作だというてくれたものが中川芳太郎《なかがわよしたろう》君であります。それだから昨日中川君と伝四君に御馳走をしました。もっとも伝四君は分らないというて居ます。(三八、九、一七)
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   九月十七日[#地から3字上げ]金生
     虚先生
  俳仏の御説教中々面白くかかれ候。
      ○
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 御手紙拝見文章会を来月九日にしては如何との御問合せ、別段差支もなさそうなれどそれまでに「猫」が出来るや否やは問題に候。『帝国文学』は十五日までに草稿が入用のよし。実は『帝文』をさきへ書いて然る後「猫」に及ぶ量見の処、此方《こちら》が未だ腹案がまとまらず、どれをかこうか、あれにしょうか、これにしょうかと迷って居る最中、然もどれもこれもいざとならぬと纏った趣向がないのでまだ手をださずに居る。それ故に此方を三、四日中にかき出してかりに一週間と見れば大丈夫。それから「猫」とするもこれも長くなるかも知れないが一週間あれば安心。すると九日の会ではちとあぶない。その次の土曜ならよかろうと思います。もっとも小生近来は文章を読む事が厭《
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