百日紅
高浜虚子

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)成程《なるほど》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#地付き](昭和六年九月)

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)つく/″\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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 昔俳句を作りはじめた時分に、はじめて百日紅といふ樹を見た。それ迄も見たことがあつたのかも知れないが、一向気がつかなかつた。成程《なるほど》百日紅といふ名前のある通り真赤な花が永い間咲いてゐるものであるわいとつく/″\其梢を眺めた。又さるすべりといふ別の名前のある通り木の膚のすべつこいものではあると、其皮の無いやうな膚をもつく/″\見た。
 其後百日紅といふ題で句作する時分に、私の頭の中では、真夏の炎天下にすべつこい肌を持つた木の真赤な花を想像するのであつた。さうして葉はどうかと思つたが、葉は全然眼に入らなかつたから無かつたのであらう、葉は花が散つた後に出るものであらうと考へてゐた。たゞぼんやりとさう考へてゐた。
 其後実際よその垣根や森の中などに百日紅の咲いてゐるのを見たことがあるが、唯百日紅が咲いてゐるわいと考へる許《ばか》りで別に右の印象を訂正するやうなことにも出食はさなかつた。
 私の庭に百日紅を植ゑてからよく見て居ると、事実は全然間違つてゐた。葉が無いどころか、葉はあるのである。真赤な花は葉の先に咲くのである。それに真夏の炎天下にはまだ花をつけはじめた時分で花の盛りではないのである。
 先づ冬は唯枯木である。他の落葉する木と共に全く枯木であるが、唯肌のすべつこいのが特に目立つて見える。春の間は外の木が花をつけたり木の芽を吹いたりするに拘《かかわ》らず、素知らぬ風をして枯木のまゝである。夏の始になつても尚ほ枯木である。外の木が大方若葉を吹き出す頃になつても尚ほ枯木である。私の家の庭にある木の中では一番最後迄枯木の儘《まま》であつた。さうして外の木の若葉がもう若葉といはれぬ位、緑も濃い色になつた時分に漸く若葉らしいものを着けはじめた。もとからあつた枝に一応葉が揃つた時分に、新らしい枝がつい/\と出はじめて其枝にみづ/\と柔かい大きな葉が出はじめた。夏も末の頃になつて漸く新らしい枝のさきに白い粉の吹いたやうな莟《つぼみ》が沢山につきはじめて、其
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