倉のひだにあらで写生のひだにもはらよるべし
飴売のひだは誠のひだならず誠のひだが美の多きひだ
人の衣に仏のひだをつけんことは竹に桜をつけたらんが如し
第一に線の配合其次も又其次も写生/\なり
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 これは秀真君の作である飴売の襞《ひだ》が型にはまった襞であって面白くない、ぜひ共実際の衣の襞を研究してその写生をせねばいかぬというのである。写生という言葉のくり返してあるところに居士の主張は観取されるのである。最後の歌に「第一に線の配合」とありて写生以上になお線の配合なるものを置いているところは、居士は写生の上に大活眼を開きながらも、なお旧来の宿論たりし配合論に煩わされていると言っていいのである。もし余をして居士に代って言わしめるなら、
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第一に写生其次も其次も又其次も写生/\なり
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と言いたいと思う。線の配合の妙味もまた写生より得来るべきものではなかろうか。
 何はともあれ、居士はかくの如く何事にも研究的で、病を忘れ死を忘れ一日生きていれば一日研究するという態度ですべての事に向ったのであった。居士の病苦の慰藉は一に此の研究
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