を少しばかり――ただし自分の所有全部――入れていたが、それをつかみ出してその時の支払をもしたことを覚えて居る。風呂屋に行った時着物を脱ぐ拍子にそれを板間にばら蒔《ま》いて黒い皮膚をした大きな裸の同君がそれを掻き集めた様《さま》などがまだ目に残っている。三十年の新年に初めて新年宴会が不忍《しのばず》弁天境内の岡田亭で催おされた。その時居士は車に乗って来会した。其村君が余興として軍談を語った。平生のドンモリに似合わず黒人《くろうと》じみて上手に出来た。
あまり其村君の話が詳し過ぎたかも知れぬが、そういう其村君のような人も門下生の一人として集まって来たという事が如何に当時各種の人が居士の門下に走《は》せ集まったかという事を物語るに足ると考えたからである。
芝の白金三光町にあった北里病院から『新俳句』という句集の現われたことも思いがけない出来事であった。それはその病院に入院中の上原|三川《さんせん》君と直野|碧玲瓏《へきれいろう》君とが――その外に東洋、春風庵《しゅんぷうあん》という二人の人もいた――『日本新聞』の句を切抜いて持っていたそれを材料として類題句集を編み、それを国民新聞社にいた
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