たる後これを抛棄《ほうき》せり。
何か面白くてたまらん一切の事物を忘れてしまうようなもの欲しと思えり。たちまち思い出でしことあり。枕頭を探りて反古堆中《ほごたいちゅう》より『菜花集《さいかしゅう》』を探り出《いだ》して「糊細工《のりざいく》」を読み初めぬ。面白し面白し。覚えず一声を出してホホと笑いたる所さえあり。この笑いほど僕を慰めたる笑いはなかりしなり。たちまちにして読み畢《おわ》りぬ。余音|嫋々《じょうじょう》として絶えざるの感あり。天ッ晴れ傑作なり貴兄集中の第一等なりと感じぬ。この平凡なる趣向、卑猥《ひわい》なる人物、浅薄なる恋が何故に面白きか殆ど解すべからず。されど僕はたしかにかく感じたり。
けだし僕が批評眼以外の眼を以て小説を見しこと『八犬伝』、『小三金五郎』以後今度がはじめてなり。小説が人間に必要なりとは常に理論の上よりしか言えり。その利益を直ちに感受したる今度がはじめてなり。
小説を読み畢りて今朝の僕は再び現われ来れり。この書面を認めて全く昨日の僕にかえりぬ。あら笑止。
僕もしこの間の消息を取って小説の材料となすを得ば僕に取りてこの上もなきめでたき事なり。僕これを
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