でなくてウォーズウォースであった。そのウォーズウォースの講義は少しも余の興味を牽《ひ》かなかった。その他に在っては大西|祝《はじめ》先生の心理学の講義を面白いと思ったが、それ以外には興味を呼ぶものがなかった。初めはつとめて登校していたが、それも漸く欠席勝になってしまった。此の明治二十八年の九月に専門学校の文科に這入った同期生は三、四十人であったかと思うが、余はそれらの人の名前を一人も記憶しておらぬ。その中には今の文壇に在って高名な人もあるのであろうが今までそれを取しらべて見たこともない。入学試験の時余は答案を誰よりも早く出して、その尻に一句ずつ俳句を書いた。その当時の余には賤《いや》しむべき一種の客気があって専門学校などは眼中にないのだというような見識をその答案の端にぶらさげたかったのである。初めより真面目に課程を没頭する気はなかったのである。
それと同時に羯南氏の紹介で余は『日本人』紙上に俳句の選をし俳話を連載することになった。後年『俳句入門』に収録したものは此の『日本人』に連載した俳話が主なるものであった。
一方に子規居士は須磨に在って静養の傍《かたわ》ら読書や執筆やに日を送っ
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