士の文稿のうちに残って居る。
 居士はそんな事をして余らを激励する事を怠らなかった。
 日清戦争はますます酣《たけなわ》となって『日本新聞』からは沢山の記者が既に従軍したが、なお一人を要するという時に居士は進んでこれに当ることになった。余らは居士の病躯《びょうく》で思いもよらぬ事だと思ったが、しかし余らのいう事はもとより容《い》れなかった。居士は平生、
「お前は人に相談という事をおしんからいかん。自分で思い立つと矢も楯もたまらなく遣っておしまいるものだから後でお困りるのよ。」とよく余に忠告したがしかしそれには余は服さなかった。如何《いかん》となれば居士もまた同じような人であったからである。ただ晩年になっては些細《ささい》の私事までも人に相談せねば断行せぬような傾きのあったのは一つは病重く自分の体でありながら思うままにならぬ所もあり、二つには自重して軽挙しなかったところもあろうが、三つにはまたよく前途を明察して後に発する言なればその言うところ必ず行われざるなく、いわば他人を悦服せしむるためにただそれだけのステップを踏んだというのに過ぎなかった。その自我心の強く一旦思い立った事を容易に撤回 
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