ように淋しかった。
 その灯火もだんだんと寒くなって来た。我らは行李から袷《あわせ》を出し綿入を出して着た。銭湯の裏座敷に並べた机の上の灯火も寒い色が増して来た。
 仙台に留まることは三月ばかりに過ぎなかった。二人は協議の上また退学という事に決した。
 名残《なごり》として松島を見物した。塩釜神社の長い石段も松島の静かな眺めも何となく淋しかった。松島から帰った日、今の工科大学教授加茂正雄君、昨年露国|駐剳《ちゅうさつ》大使館一等書記官として亡くなった小田徳五郎君らの周旋の下に京都転学組一同は余ら二人の送別茶話会を開いてくれた。小田君が送別の辞を陳《の》べてくれたので、余は答辞を陳べねばならぬことになり、頗るまずい演説をした。碧梧桐君は松島遊覧の発句を一句高誦して喝采《かっさい》を博した。
 日清戦争はこの仙台在学中に始まっていた。保証人の宇和川大尉は出征後間もなく戦死した。

    七

 碧梧桐君と二人で仙台の第二高等学校を退学して上京してからは二人とも暫時の間根岸の子規居士の家に居た。そのうち碧梧桐君は居士の家に止まり余は小石川武島町に新世帯を持っている新海非風君の家に同居するこ
前へ 次へ
全108ページ中34ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高浜 虚子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング