新の警鐘となりつつあるのであった。後年『獺祭書屋俳話《だっさいしょおくはいわ》』として刊行されたものがこれである。
 その春休みは月の瀬近傍に発火演習を遣る旨が学校の講堂に掲示された時余は誰にも言わず一人で東京行きを志した。一日の費用拾五銭という予算で徒歩旅行を始めたのであった。けれどもそれは名古屋を過ぎ池鯉府《ちりゅう》に行って遂に底豆を踏み出し、行こうか帰ろうかと刈谷の停車場で思案した末遂に新橋までの切符を買ってしまった。子規居士は驚いて余を迎え小会を旧根岸庵――今の家より二、三軒西の家――に開いてくれた。その時は鳴雪、松宇、庵主、余の四人の会合であったかと思う。そうして余は二、三日滞在の上帰路は箱根を越え、富士川を渡り、岩淵停車場まで徒歩し、始業の時日が差迫ったためにそれからまた汽車に乗って帰った。同級生は皆月の瀬の勝《しょう》を説いていたが、余は黙って、根岸庵小会の清興を心に繰返えしていた。
 さて京都の一年も夢の間に過ぎた。余はその前年の冬休みにもその年の夏休みにも帰省した。が別に文学上の述作をするのでもなく、あまり俳句を作るでもなく、碧梧桐君と一緒に謡《うたい》など謡って遊
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