めて山とするものを指示してくれたが、今日から見るとその山なるものはよほど境界の狭いものであった。――文章会を山会と言ったのもそれに基いたのであった。――また居士は山を製造[#「製造」に白丸傍点]することを頻《しき》りに唱道したが、それも晩年になって、自然を寸毫《すんごう》も偽わることは大罪悪なりといった言葉から推すと、自ら否定したものともいえるのである。――少くとも其処《そこ》に矛盾した二個の主張があったともいえるのである。
 居士の盛名は日に月に加わって来た。居士の盛名が強大であるに連れて我らのような有象無象《うぞうむぞう》も共に有名になって来た。それが相当に勉強して有名になるならば不思議はないのであるが、あまり勉強もしないでいて、有名になって、それで澄ましていたものだから、漸くいらいらして来た居士は何かにつけて余らを罵倒《ばとう》し始めた。居士の晩年に於ける言行は何物に対しても痛罵骨を刺すものであったが殊に余らに対しては最も峻烈《しゅんれつ》を極めていた。
 居士はある時余にこういう事を言ったことがあった。
「私《あし》がこう悪口ばかりを言っていて世人が我慢をしているのは病人だからである。これが病人でなかった日にはとても我慢はしていやすまい。それを思うと病人というものはなかなか得なものである。」と。そう言って居士は苦笑した。
 しかしそれは決して病人だからという理由ばかりではなかった。その他居士の人格、事業が世人に認識されて居士のいう事は一つの権威となってしまったからであった。もう居士の文壇に於ける地位は動かそうと思っても動かされぬものになってしまっていた。居士は初めは自分の大を為すために社会に自分の門下生を推挙する必要があった。今は居士の大を為すために、公平に厳密に門下生を品隲《ひんしつ》する必要があった。
 こういう事をいうとそれは居士の人格を傷《きずつ》ける議論だという人があるかも知れぬ。私はその議論にくみしない。居士はその位の用意は常に忘れなかった人である。居士はそういう事は超越してもっと高いところに偉大なところがあった。
 一方からいうと居士の門下生に対する執着――愛――がこの時に至るまで熾烈《しれつ》であって黙ってそのぐうたらを観過することを許さなかったのであった。彼らの前途のためにもしくは彼らを見習う多くの青年のためにぜひ一痛棒を加えておく必要を感じたのであった。
 居士に就いていうべき事はなお頗る多い。が、『ホトトギス』東遷後は世人の耳目に新たなることであるからここにはこれを省き、他日機会を得て別に稿を起こすことにしょうと思う。

    十四

『ホトトギス』東遷後の居士の事業が俳句、和歌、写生文の三つであった事は前回に陳《の》べた通りであったが、その他居士は香取秀真《かとりほずま》君の鋳物《いもの》を見てから盛にその方面の研究を試み始めたり、伊藤左千夫君が茶の湯を愛好するところから同じくその方面の趣味にも心をとめて見たり、また晩年は草花類の写生を試みて浅井画伯などの賞讃を博したりしていた。ある時余が訪問して見ると居士は紙の碁盤の上に泥の碁石を並べていた。別に定石の本とか手合せの本とかを見て並べているわけではなく、ただ自分の考で白と黒との石を交りばんこに紙の上に置いているのであった。それまで殆ど碁というものに就いて何の知識もなかった居士はふと思い立って碁の独り研究を始めたのであった。ある時風が吹いたために折角《せっかく》並べた石が紙と共に飛んでしまって何もなくなってしまったというようなことを居士自身で文章にしたことがあったように記憶する。ある日四方太、青々《せいせい》、余の三人が落合って居士もその中に加わって、四人で五目並べをしたことがあった。それもその紙の碁盤と泥の碁石とであった。
 居士の草花の写生は大分長く続いて、なかなか巧みなものであった。水彩画の画《え》の具《ぐ》で書くのであったが、色の用法などは何人にも習わず、また手本というようなものは一冊もなく、ただ目前に草花類を置いていきなりそれを写生するのであったから、色の使用具合とか何とかそういう形式的のことは一切知らずにやるのでちょっと見ると馬鹿に汚い、素人臭い感じのするものであったが、しかしその純朴な単刀直入の写生趣味になかなか面白いものがあった。
 此の絵画の試みも、事実を写生するということが文芸の第一生命であるという居士の確信から来ているのであった。秀真君の鋳物を批評するのにもこの写生ということを極言して従来の型にはまろうとする上に警告を与えるのを常としていた。たとえば、『子規書簡集』にこういう歌が載っている。これは秀真君の鋳物の批評である。
[#ここから3字下げ]
青丹《あをに》よし奈良の仏もうまけれど写生にますはあらじとぞ思ふ
天平のひだ鎌
前へ 次へ
全27ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
高浜 虚子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング