いる。また現に突立ちつつある。八重洲ビルデングだとか昭和館とかがその一例である。けれどもそれ等の外は空地がまだ相当にある。またバラック建の粗末な建物がある。ガードの下に巣くうている小店もある。今の丸の内の文明は先ず新開町の田圃の中に建物がぼつ/\建ちはじめた位の程度である。これを立派な町に仕上げて、新丸の内街を作り上げるのにはなお相当の歳月を要するであろう。
 一時間ばかり自動車におびやかされながら私はトボ/\歩いてまた丸ビルに帰った。

    薄紅梅

 十一時半になると丸ビルの地階、一階、九階の食堂が皆開く。一階の西北隅の竹葉の食堂にはいる。まだ誰も客のいないテーブルの一つに陣取る。
 ここの壁や柱には万葉の歌が沢山に書いてある。見るともなしにそれを見る。
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誰か園の梅の花ぞも久方の清き月夜にこゝだ散り来る
ほとゝぎす来啼きどよもす橘の花散る庭を見む人や誰
天の川霧たちわたり彦星のかぢの音聞ゆ夜の更け行けば
今朝啼きて行きし雁金寒みかもこの野のあさぢ色づきにける
あが宿の秋萩のへに置く露のいちじろしくもあれこひめやも
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 率直なる感情
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