ませて帰って来れば、それで一日の用事は済んだ。
 或時一人の老車夫の俥《くるま》に乗って、道々その身の上話を聞きながら行ったことを記憶している。ゆっくり/\車をひいて、身の上話でもする老車夫は、今は春の日永のいなか道に見出す位のものであろう。いなか道でも自動車のいつ驀進《ばくしん》して来るかわからぬところではなか/\油断がならぬ。濠端《ほりばた》の柳の下を急がず騒がずひいて行く老車夫の車が、ただ一台あるばかりの光景を想像して見ると、如何にのん気な悠長な画図であったかよ。
 その時分の丸の内はただ暗く静かに、又さびしく物騒な天地であった。夜分などはこの明治生命の前を通ると、向うは真暗な原っぱで、ただ大空に星が輝いているばかりであった。今の東京駅のあたりも闇の続きで、その向うに僅かに京橋辺の灯が見えた。
 やがてぼつぼつと家が建って、その四軒長屋の間々が建てふさがるようになって、俗にこれを「一丁ロンドン」と呼ぶようになった。仲通り一帯が建ち並んだのは四十四、五年の頃であるとか。
 仲通り一帯の多くの建物にははいり口が沢山ついていて、そして或会社なり事務所なりは、天辺《てっぺん》の部屋までそ
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