。」と一人の人がいった。
 私は面白いと思ってその話を記憶している。現に丸ビルのルーフなどは広大な場所が空《むな》しく空《あ》いている。そこに能舞台を作って、俳句会と同様の時間位で能楽を催すという事は、事務所のひけ後、夕飯までの時間を利用する一つの娯楽機関となるであろう。能楽は強《し》いても人に見せる必要がある。一般にその面白味をわからせてやるようにすることは一種の善根功徳である。
 今こんなことをいうと一つの空想談のように聞こえるが、必ずしも空想談ではあるまいと思う。
 現にホトトギス発行所がこの丸ビルの一室に陣取るという事は、あまり突飛なこととして、初めは人人の嗤笑《ししょう》を受けた。併し今は、私の和服がこの建物と不調和と感じない如く少しも不調和ではなくなった。この丸ビルの一隅にホトトギス発行所のあるという事が当然過ぎる程当然な事のように思えて来た。ここで俳句会の開かれるという事もまた当然過ぎる程当然なことのように思えて来た。
 震災で宝生《ほうしょう》舞台の焼けたということは、報知講堂で宝生流素謡会を開かしめるようになった。今は誰もそれを怪しまぬではないか。
 それのみならず、
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