げる所をものでぶつのであった。よく見ると別々の鼠とりに五、六匹の鼠がはいっていた。
 鼠や蠅は別に詩的材料というのではない。併し蠅は俳句の季題ではある。
 唯《ただ》或時私は見るともなく窓外に目をやると、珍しくも一匹の黄蝶がひら/\と中庭を飛んでいるのが目に入った。これは珍しいと窓の所に近よって見ると、蝶はひら/\とその小さな羽を動かして、地下室のところまで降りるのであるが、何所にも出場が無いのを見ると、またひら/\と上の方に上って来る。そうして七、八階の辺の高さまで上るのであるが、もうそれより上に上ることはよして、又ひら/\と舞い下りて来る。或時は向う側の窓近く飛んでいるし或時はこちら側の窓近く飛んでいる。
 私は暫くその蝶を見ておったが、ふと中窓をめぐる各の窓に目を移すと、あちらの窓にもまたこちらの窓にもこの蝶を見ている人の顔があった。
 蝶は舞台にある舞姫のように、ただ独《ひと》りこの庭を独占して上下している。その実《じつ》通路を見出そうとしてあせっているのであろうが、われ等の眼には少しもあせっている容子は見えず、翩翻《へんぽん》として広い中庭に乱舞しているように見える。城壁のような無骨な壁と銃眼のような窓の並んでいるその単調な眺めの中に、計らずも黄蝶の舞を見出でたという事は、はからざる喜びであった。
 私は窓を離れて再び用事に携った。そうして手を離して目をやると、蝶はなお飛んでいた。暫くしてまた目をやると、なお蝶は飛んでいた。
 その日用事を果たして帰るべく窓際に立つと、もう蝶はいない。そこにはただ殺風景な事務員の影がどの窓にもあるばかりであった。

    日曜日

 雪の降っている日である。丸ビルの七階の事務所の窓によって中庭を見ていると、真白に積っている何のきずもない雪の上に、何か落ちて来て忽ち大きく黒いあとを印した。何事であろうと上を仰いで見ると、九階の精養軒の一つの窓に、白い洋服を著て髪を美しくわけたボーイと赤い帯を締めて白粉を塗っている女給とが笑いながら下を見ているのが眼にとまった。そうしてそのボーイの手にかためられている雪のかたまりがあるのが目に入った。やがて又ボーイの手で雪が投げられる。忽ち中庭の雪は黒くあとをつける。
 中庭といっても、そこは売店の屋根になっているところで、丁度丸菱の屋根に当る。
 その雪のかたまりは下の雪を破って、黒く売店の屋根が現れ出るのである。
 ボーイと女給は面白そうに笑っているのである。
 そのボーイは、丁度窓の敷居の前に積っておる雪を、手のひらに丸めてはそれを放るのである。
 きょうは日曜である。しかも雪が降っている。時計はさっき十二時を打ったが、精養軒には余り客が無く、ボーイも女給も手持無沙汰なのであろう。そんな事をして遊んでいるものと見える。
 そういうわが事務所も休みである。或用事があって私一人出て来ているのである。どの部屋の窓のカーテンも皆下りてひっそり閑《かん》としている。たま/\わが隣室にはタイプライターを打つ音が響いている。この隣室にもタイピスト一人出て来ているものかも知れぬ。
 日曜の丸ビルは淋しい。エレベーターも半数は休んでいる。その動いている半数のエレベーターにも乗る人は少ない。
 売店にも客は少ない。
 食堂も同様である。かしこに一人、ここに一人という風に陣取っているだけだ。それも多くはそとから来た客だ。元来ここの食堂の客はこの丸ビルに通勤している事務員が多い。それに又近所の会社の勤め人が多い。日曜日はそれ等の客がげっそり減るので淋しい。
 九階の精養軒でボーイや女給が雪を投げてひまをつぶしているのも道理ある事である。
 丸ビルが淋しいばかりでなく、東京駅も淋しい。遠隔の地方から来る客、又遠隔の地方に旅する客には変りは無かろうが、近郊から来る通勤客は皆無だ。
 尤《もっと》も晴天の日であると、又別種の客がある。女子供が多い。日日通勤している人も、今日ばかりは和服に著《き》かえて、打ちくつろいだ姿をして、細君や子供を携えて東京へ遊びに出かけるのである。それ等が丸ビルの売店をひやかしたり、そこの食堂で昼飯を食ったりするのも稀にある。然し大概は銀座や三越や又浅草あたりに行くのであろう。
 勤人が細君から命ぜられた買物をして帰るのは丸ビルが最も便利である。そうでなくても大概|退《ひ》け時には一度丸ビルを通過して東京駅に来るのである。丸ビルの下の十字街が雑踏するのは、正午の食事時とこの退け時である。
 それ等の人は日曜日には無い。銀ブラの盛んな時間になると、丸ビルはひっそりとする。勤め人の帰り去った五時頃には売店は大概店をしまうのである。食堂も七時か八時頃には大概戸を閉じる。
 丸ビルばかりではない、丸の内一帯がひっそりする。
 日曜で殊に雪の日の暮方は淋しい。
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