ある。
 電気ベルが鳴りだして、鉄の門があいた。たちまちせきをきったように、人々が流れだしてくると、三吉はいそいで坂の中途から小径《こみち》をのぼって、城内の練兵場の一部になった小公園へきた。それが深水と打ちあわせてある場所で、古びた藤棚の下に石の丸卓があって、雨ざらしのベンチがあった。さて――、一ばんさいしょに何といえばいいだろう。ベンチに坐《すわ》ったりたったりしながら、三吉はあわてていた。それはゆうべから考えていることだが、まだわからなかった。たぶん彼女は黙っているにちがいない。せいぜい弁当箱に顔をおしつけて笑うくらいだろう。何とかいわねばならないが。――もちろんいうことは沢山《たくさん》あった。自分が竹びしゃく作りであること、熊本ではもう雇ってくれてがないこと、それから自分の理想、ヨゼフ・ディーツゲンのこと……。しかし一ばん最初には何というか? それがいくら考えてもわからなかった。
「やぁ――」
 桜並木になっている坂の小径《こみち》を、深水が気どったすまし方でのぼってきた。その背中にかくれるようにして彼女がついてきた。深水も工場がえりで弁当箱をもっているが、絽《ろ》羽織などひ
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