ると、
「ええわしの方も、ひとつたのむゾ」
 と、長野は酔ったふりでいった。長野も高坂も「女郎派」といわれていた。そして、この名前をつけたアナーキストの小野は、この春に上京してしまっていた。
「どうだ、あがらんか」
 深水はだいぶ調子づいていた。
「おい、そっちに餉台《ちゃぶだい》をだしな」
 嫁さんはなんでもうれしそうに、部屋のなかへ支度《したく》しはじめた。
「いや、わしはかえる。ホラ、あれでな」
 長野がながいあごをしゃくってみせると、深水は気がついたふうに、こんどは三吉にだけいった。
「じゃ、きみあがれ」
「いや、おれもかえるんだ」
 三吉はそういったが、長野が垣ねから上被《うわぎ》をとって肩にひっかけ、
「なんだ女一匹、しっかりしろや」
 と三吉の肩をたたいてから、上機嫌ででてゆくのをみおくりながら、やはりたちそびれていた。
「ときに、あの娘いくつだい?」
 と、深水がきくのに、嫁さんははずんだ調子でこたえている。
「シゲちゃんは、妾《あたし》より一つ上よ」
「二十一か」
 三吉があがらぬので、しぜん夫婦もうしろへきてすわっている。
「――うちは百姓だけど、兄さんが大工さんだって。もうシゲちゃんもそろそろ、ねェ」
 三吉はくらくなってきた足もとをみていた。彼女は紙巻工であった深水の嫁さんの同僚で、深水の結婚式のとき、てつだいにきていた彼女を、三吉は顔だけみたのである。
「どうだあの子、いままで男なんかあったか?」
「そんなこと――」
 くっくっと嫁さんは笑いこけている。――ないでしょう――。
 その嫁さんのわらいごえが、三吉をあたためてくれるようだった。女房をもとうか? どんなに貧乏だってかまわない。ゆくゆくは子供がうんとできて、自分の両親のようになってもかまわない。――
「おれが、あの娘に話してみるか?」
 うしろで、夫婦が相談はじめている。
「それともお前がきいてみるか?」
「そうね」
「どっちにせ、青井の奴《やつ》ァ、三年たっても自分じゃいえない男だから」
 それでまた夫婦がわらい声をたててから、こんどは急に気がついたふうに嫁さんは、顔をかくしていたうちわを離すと、
「ね、青井さん」
 三吉があわてて電灯の灯の方へ顔をむけると、気のいい人の要慎《ようじん》なさで、白粉《おしろい》の匂《にお》いと一緒に顔をくっつけながら、
「あなたは、それでいいんですか?」
 といった。三吉はくらい方をむいたままうなずいた。すっかり夜になって、草すだれなどつるしたどの家も、食事どきの、ゆたかなしずかさにあふれてるようだった。
「まあ、尻を落ちつけるさ――」
 深水が、これも人はいい、のみこみ屋の単純さで、
「――こないだ、きみのおっかさんに逢《あ》ったときも、心配してござらっしゃった。三吉が東京へゆくと申しますが、あれに出てゆかれたらあとが困りますなんてなぁ、きみも長男だからね」
 などという。
「――熊連だってこまるよ。小野も津田もいなくなるし、五高の連中だって、もうすぐ卒業していってしもうしなァ。きみのような有能な人物が、熊本にとどまって、ぜひガンばってくれんことにゃ――」
 けっきょく三吉は、新婚の二人に夕めしもくわせず、夜ふけまで縁さきにこしかけていた。


   二

 家のひさし下に、ひよけのむしろをたらして、三吉は竹のひしゃくをつくっている。縄でしばった南京《ナンキン》袋の前だれをあてて、直径五寸もある大きな孟宗竹の根を両足の親指でふんまえて、桶屋がつかうせん[#「せん」に傍点]という、左右に把手《とって》のついた刃物でけずっていた。ガリ、ガリ、ガリッ……。金ぞくのようにかたい竹のふしは、ときどきせん[#「せん」に傍点]をはねかえしてからすべりすると、雨だれのような汗がボト、ボトとまえに落ちる。――
 せまい熊本市で、三吉も「喰《く》いつめた」一人であった。新聞社でストライキに加わって解雇され、発電所で「労働問題演説会」を主催した一人だというので検挙され、印刷工組合の組織に参加すると、もう有名になってしまって、雇ってくれるところがなくなっていた。仲間の小野は東京へ出奔《しゅっぽん》したし、いま一人の津田は福岡のゴロ新聞社にころがりこんで、ちかごろは袴《はかま》をはいて歩いているという噂《うわさ》であった。五高の連中も新人会支部のかぎりでは活動したが、組合のことには手をださなかった。ことに高坂や長野は、学生たちを子供あつかいにした。彼らは三吉らより五つ六つ年輩でもあり、土地の顔役でもあって、普通選挙法実施の見透《みとお》しがいよいよ明らかに[#「明らかに」は底本では「朋らかに」]なると、露骨に彼ら流儀の「議会主義」へとすすんでいた。
「竹びしゃくなんかつくらんでも、わしが工場ではたらくがええ」
 高坂がそういってくれ
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