とした背。大きすぎる口、うすい眉毛さえが、特徴あるニュアンスになって、三吉の頭に影像をつくっている。そして彼女たちの姿が青く田甫のむこうにみえなくなったとき、しろくかわきあがった土堤道だけが足もとにのこったが、それはきのうもおとといも同じであった――。
 尻からげして、三吉は、こんどは土堤道をあと戻りし、やがて場末の町にはいってきた。足首を白いほこりに染めながら、小家ばかりの裏町の路地《ろじ》を、まちがえずに入ってくる。なにかどなりながら竹|箒《ぼうき》をかついで子供をおっかけてきた腰巻一つの内儀《かみ》さんや、ふんどしひとつのすねをたたきながら、ひさし下のしおたれた朝顔のつるをなおしているおやじさんや、さわがしい夕飯まえの路地うちをいくつもまがってから、長屋のはしっこの家のかど口に「日本友愛会熊本支部事務所」とかいた、あたりには不似合な、大きな看板のあるところへでた。
「おう、青井」
 むこうから、三吉をよぶ声がして、つづけてわらい声がいった。
「どうだったい、きょうは?」
 路地にひらいた三尺縁で、長野と深水が焼酎をのんでいた。長野は、赤い組長マークのついた菜葉《なっぱ》服の上被《うわぎ》を、そばの朝顔のからんだ垣にひっかけて、靴ばきのままだが、この家の主人である深水は、あたらしいゆあがりをきて、あぐらをかいている。
「その顔つきじゃ、あかんな」
 チャップリンひげをうごかして長野がわらった。長野は大阪からながれてきた男で、専売局工場の電機修繕工をしている。三吉たちの熊本印刷工組合とはべつに、一専売局を中心に友愛会支部をつくっていて、弁舌がたっしゃなのと、煙草色《たばこいろ》の制服のなかで、機械工だけが許されている菜《な》ッ葉《ぱ》色制服のちがいで、女工たちのあいだに人気があった。三吉は縁のはしに腰かけ、手拭《てぬぐい》で顔をふいたが、二人のわらいごえにつれられて、まげに赤い手絡《てがら》をかけた深水の嫁さんが、うちわをそッと三吉のまえにだすと、同時にからだをひきながら、ころころとわらいころげた。
「ずいぶん、ごねっしんね」
 低声で嫁さんがいうと、
「え」
 と三吉が、真顔でこたえ、嫁さんがまたふきだすと、三吉も一緒にわらった。
 嫁にきて間がない深水の細君は、眼も、口も、鼻も、そろって小さく、まるい顔して、ころころにふとっていた。何畳だか、一間きりの家の中はよくかたづいていて、あたらしいタンスや紅いきれのかかった鏡台やがあった。
「印刷工組合の指導者、青井三吉も、女にかかると、あかんな、うーん」
 長野がコップをつきつけた。女房に子供もあるがチャップリンひげと、ながいあごをもっているこの男は、そんな意味でも女工たちに人気があった。三吉は焼酎をのみながら、事務的に用件をいった。いいながら自分に腹がたってくる。どうしてもこの男にバカにされてしまう。――用件というのは、東京の「前衛」社から高島貞喜がくるという通知を受けとったこと、その演説会と座談会をやるため、印刷工組合と友愛会支部とで出来ている熊本労働組合連合会の役員たちが宣伝をうけもつこと、高島の接待は第五高等学校の連中がやること等であった。しかし同じ新人会熊本支部員である長野も深水も、この用件にあまり興味をもたなかった。第一に高島が有名でないこと、次に高島がボルだということからであった。
「おあがんなさい」
 深水の嫁さんがしきものをだしてくれた。うなずきながら、足首までしろくなったじぶんの足下をみていると、長野がいつもの大阪弁まじりで、秋にある、熊本市の市会議員選挙のことをしゃべっている。深水はからだをのりだすようにして、
「そりゃええ、パトロンが出来たなら、鬼に金棒さ、うん――」
 ゆあがりの胸をひろげて、うちわを大げさにうごかしている。頭髪にチックをつけている深水は、新婚の女房も意識にいれてるふうで、
「――わしも応援するよ、普選になればわれわれ熊連は市会議員でも代議士でも、ドンドンださんといかん」
 いいながら、こんどは三吉を仲間にいれようとする。
「君ァどうかね? え、わしがパトロンをめっけてやってもええが」
 三吉は早くかえらねばならぬと思っている。専売局の截刻工である深水は、かねてから市会議員などになりたがっていた。しかしまだ印刷工組合に小野鉄次郎がいたころは、彼にしろ長野にしろ、こんなに露骨にはいわない筈《はず》であった。
「高坂が準備してるいうやないか?」
 こんどは長野が三吉をのぞきこんだ。高坂はやはり印刷工組合の幹部で、自分で印刷工場も経営している。一方では憲政会熊本支部にもひそかに出入《でいり》している男であるが、小野、津田、三吉の労働幹部のトリオがしっかりしているうちは、まだいうことをきいていた。
「きみィ、応援するのやろ?」
 三吉が黙ってい
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