ても、三吉はゆきたくなかった。彼に雇われる以上、彼の旦那|気質《かたぎ》で、おそらく組合のことでも、対等には三吉にしゃべらせないのが眼にみえていたからだった。ほんとに地方はせまかった。一たん浮いてしまったら、土地の勢力と妥協でもしないかぎり、もうからだの置き場所がなくなるのであった。
ガリ、ガリ、ガリッ……。とたんに三吉はせん[#「せん」に傍点]をほうりだして、家の中にとびこむ。家の前の道を、パッと陽の光りをはじけかしてクリーム色のパラソルがとおってゆく。もちろんパラソルにかくれた顔がだれだからというのではなくて、若い女一般にたいしてはずかしい。乞食のような風ていも、竹びしゃくつくりもはずかしい。
「けがしたかい?」
そばにならんですわって、竹ばしをけずっている母親が、びっくりしてきく。三吉は首をふって、ごまかすために自分の本箱のところへいって、小野からの手紙などとって、仕事場にもどってくる。――どうして、若い女にみられるのが、こんなにはずかしいだろう?
手紙をよみかえすふり[#「ふり」に傍点]して、三吉は考えている。竹細工の仕事は幼少から馴《な》れていた。せん[#「せん」に傍点]で竹の皮をむき、ふしの外のでっぱりをけずり、内側のかたい厚みをけずり、それから穴をあけて、柄《え》をつけると、ぶかっこうながら丈夫な、南九州の農家などでよくつかっている竹びしゃくが出来あがる。朝めし前からかかって、日に四十本をつくるのだが、このはずかしさは、馴れることができない。印刷工場で、団体見学の女学生などにみられるときもはずかしかったが、竹細工はもっとはずかしかった。何せみられる方が一人ぽっちであった。いい若いもんが手内職みたいな仕事をしているということもあった。しかし、それがどうして悪いのだろう? 何でこんなにはずかしいのだろう? そしてやっぱり、若い女が前の道を通ると、三吉はいち早く気がついて、家のなかにとびこんだ。
「でもまァ、これでお前がひしゃくをつくれば、日に二円にはなる。たきぎはでけるし、つきあいはいらんし、工場の二円よりかよっぽどつよい」
倅《せがれ》が何で家の中にとびこむか、わざと知らんふりして、母親はいうのである。二円の利益は母親やきょうだいたちの手伝いもふくめてであるが、母親はなんでも倅の家出をおそれていた。
「そりゃな、東京の金はとれやすいかも知らんが、入りやすい金は出やすいもんだよ。まして月々におくるという金は、なかなかのこっちゃない」
あがりがまちのむこうには、荷馬車稼業の父親が、この春仕事さきで大怪我をしてからというもの、ねたきりでいたし、そばにはまだ乳のみ児の妹がねかしてあった。母親にすれば、倅の室の隅においている小さい本箱と、ちかごろときどき東京からくる手紙がいちばん気になるのであった。
「――ドイツのね、ヨゼフ・ディーツゲンという人は、やっぱり皮なめし工という、手工業労働者だったんだ」
しばらくだまっていた倅《せがれ》が、とつぜんそんなこといいだすと、母親は手をやめて、きょとんとした。
「――いえさ、おれのような職人だったんだが、マルクスと一緒にドイツ革命に参加したり、哲学書をかいたり、非常にえらい人だったそうだ」
母親は、それで見当がついた風で、
「すると、やっぱりシャカイシュギかい?」
などという。――
三吉は、ときどき、そのディーツゲンをおもいうかべることで、自分に勇気づけていた。マルクスやエンゲルスとは別個に唯物弁証法的哲学をうちたてたという偉大なドイツの労働者についてくわしくは知らなかったけれど、感じさせた。それはきよらかで、芸術的でさえある気がしていた。ディーツゲンのようにえらくはないにしても、地方にいて、何の誰べぇとも知られず、生涯をささげるということは美《うつ》くしい気がした。そしてこの竹びしゃく作りなら、熊本の警察がいくら朝晩にやってこようと、くびになる怖《おそ》れがなかった。
「しかし、彼女は竹びしゃく作りの女房になってくれるだろうか?」
そして、またそこへくると、三吉はギクリとする。鼻がたかくて、すこし頭髪のあかい、ひびくわらい声の彼女を、自分のそばのむしろに坐《すわ》らせてみることが、いかにも困難であった。パラソルをみたときのように、家のなかへとびこみたい気がする。しかし、しかし――とボト、ボトと汗を落しながら三吉は思う。彼女は理解してくれるんじゃないだろうか? 三吉はかつて彼女を「ぱっぱ女学生」などと一度も考えたことがないように、こっちが清らかでさえあれば、願いが通じるような気がする――。
「ときにな――」
竹くずのなかにうずまって、母親は母親でさっきから考えていたらしく、きせるたばこを一服つけながら、いった。
「こないだの、あれな」
「あれって、何だよ」
ちか
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