っかけている。彼女は――頭髪に白いバラのかんざしをさして、赤い弁当風呂敷を胸におしつけている――それきりしか三吉には見定められなかった。
「こっちがいいでしょう」
深水がベンチのちりをはらって、自分のとなりに彼女を腰かけさせ、まだつったっている三吉を、反対がわのベンチへ腰かけさせてから、彼の改まったときのくせで、エヘンと咳ばらいした。
「こちら、青井三吉君――、こちらは野上シゲさん――」
ジーンと耳鳴りがしていて、あいてをみずに三吉は頭をさげた。すると、意外にもうつむいていた赤っぽい頭髪が、すッとあおのいた。
「――よろしく、ご交際、おねがいします」
深水がたもとから煙草《たばこ》をだして点《つ》けた。三吉もその火で吸いつけようとするが、手がふるえていて、うまく点かない。点かないながら――ゴコウサイ――というのが、どきんと頭にのこっている。
「まず、こういうことは双方の理解が、一等大切だと思います。双方の精神的理解、これがないというと、それはつまり野合の恋愛であって――」
石の卓に片肘《かたひじ》をついている深水の演説口調を、三吉はやめさせたいが、彼女は上体をおこして真顔できいている。たかい鼻と、やや大きな口とが、すこしらくにみられた。三吉はわざとマッチを借りたりして妨害するが、深水の演説口調はなかなかやまない。そのうち、こんどは急に声の調子まで変えていった。
「――しかし、つまるところはですナ、ご両人でよろしくやってもらうよりないんだよ。わしはその、月下氷人でネ、これからさきは知らんですよ――」
それで深水が笑うと、彼女も一緒にわらった。深水は最初に彼らしい勿体《もったい》ぶりと、こっちが侮辱されるような、意味ありげな会釈《えしゃく》をのこして、小径のむこうに去っていったが、三吉は何故《なぜ》だかすこし落ちついていた。二人きりになってしまったのに、さっきまでの、何ときりだすかという焦慮と不安は、だいぶうすらいでしまっていた。
「あのゥ――」
彼女の方からいいだした。
「妾《あたし》、あなたのこと、まえから知っていました。あなたの御活躍なさってるご容子《ようす》――」
三吉は呆気《あっけ》にとられて、あいての大きすぎる口もとをみた。
「――いつか、新聞に“現代青年の任務”というのをお書きになったんでしょ。妾《あたし》、とても、感激しましたわ」
東京弁をまじえて、笑いもせずにいっている。そのあいての顔から視線をはずしているのに、口から鼻のまわりへかけてゆれうごくものが、三吉の頭の中にある彼女の幻影を、むざんにうちくだいてゆくのが、ありありとわかった。
「貴女《あなた》のうちは遠くて、通いがたいへんでしょう」
彼女の幻影をとりとめようとして、三吉がそんなことをいった。いいながら案外平気でいっている自分を淋《さび》しく感じている。
「ええ、でも田甫《たんぼ》道あるいていると、作歌ができまして――」
「サクカ?」
気がつくと、彼女は弁当づつみのあいだにうすっぺらな雑誌をいれていた。彼女のある期待が、歌などよくわからない三吉にその雑誌をひろげてみねば悪いようにさせた。そして雑誌をめくりながら、彼女の歌がどれであるかなど、心にとめることも出来ず、相手にひったくられるまで、ボンヤリとそこらに眼をおいていた。
「――サンポなさいません?」
三吉たちの生活にはないそんな文句をいわれて、あわててたちあがったとき、もうとり戻しが出来ぬほど遠いうしろに自分がいることを、三吉は感じずにいられなかった。桜並木の小径《こみち》をくだって、練兵場のやぶかげの近道を、いつも彼女が帰ってゆく土堤《どて》上の道にでると、もう夕映えも消えた稲田甫の遠くは紫色にもやっていた。
「あなた、いつもここを、あの、いらっしゃったでしょ」
例の、肩をぶっつけるようにして、それから前こごみに彼女は笑いこけた。
「ええ」
と、こたえながら、三吉はほんとに呆然《ぼうぜん》としている自分をみた。これはいったいどういうことなのか――前こごみになっている彼女の肩や、紅と紫の合せ帯をしている腰のへん――もうそこにはきのうまでの幻影はかげを消していた。いつもそこで岐《わか》れ道になっている田甫のあいだにはおりてゆかないで、彼女はきづかぬ風に、土堤道をさきへ歩いてゆく。そのへんからは土堤の左右に杉の古木が並木になり、上熊本駅へゆく間道で、男女の逢引《あいびき》の場所として、土地でも知られているところだったが、三吉にはもはやおっくうであった。
「あの、深水さんがね、貴方《あなた》のことを――」
夕闇《ゆうやみ》の底に、かえってくっきりとみえる野菊の一《ひ》とむらがあるところで、彼女はしゃがんでそれをつみとりながら、顔をあおのけていった。
「――青井は未来の代議士だって、
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