妾《あたし》も、信じますわ」
 こいつ、ぱっぱ女学生だ――野菊の花をまさぐりながら、胸のところに頭髪をよせてきたとき、三吉は心の中でさけんだ。
 ――もう、何ものこらなかった。病みあがりのような、げっそりした疲労だけがのこっていた。彼女と別れてすたすた戻ってきてから二三日は唖《おし》のようにだまって、家の軒下で竹びしゃくを作っていた。
 ある夕方、深水がきて、高島が福岡へ発つから、今夜送別会をやるといいにきて、
「ときに、例の方はどうしたい?」
 と訊《き》いたとき、三吉は、
「おれ、病気なんだ」
 と答えたきりだった。けげんな顔をしている相手にいくら説明したところで、それは無駄だと思った。
「おれ、東京へゆく」
 送別会にもでなかった高島が、福岡へ発ってしまってから、三吉は母親にそういった。
「急に、また、何でや?」
 油断《ゆだん》をつかれたように、母親はびっくりした。出発の前晩まで、母親はいろいろにくどいた。父親はだまっていたが、勿論《もちろん》賛成ではなかった。しかし三吉は、高島を福岡へおっかけよう、そこで紹介状をもらって、ボルの東京へゆこう、それだけを心のなかにきめていた――。
「高坂さんや深水さんにも、だまってゆくのかい?」
 あきらめた母親は、末の妹をおぶって途中まで送ってきながらいった。三吉はむこうむきのままうなずいただけだった。町はずれから田甫《たんぼ》へでて、例の土堤《どて》の上の道へでたところで、母親は足をとめた。
「どこまでいっても、おなじこったから――」
 バスケット一つだけもっている三吉もふりむくと、
「こっからお江戸は三百里というからなァ――」
 と、母親は、背の妹をゆすりあげていった。三吉の母親たちは、まだ東京のことを江戸といった。
「わしが死んでも、たかい旅費つこうてもどってこんでもええが、おとっさんが死んだときゃあ、もどってきておくれなァ」
 三吉はうなずいた。うなずきながら歩きだした。途中でも、まだ見おくってるだろう母親の方をふりむかなかった。――土堤道の杉のところで、彼女が野菊をつまんで、むねにもたれるようにして何かいったことも、いまは思いだしもしなかった。――土堤道のつきる遠くで停車場の方から汽車の汽笛がきこえていたが、はやる心はなかった。ハンチングをかぶった学生のボルの姿は、ただひとつの道しるべだったけれど、小野たちとはべつな東京で、すぐ明日からも働き場所をめっけて、故郷に仕送りしなければならぬ生活の方が、まだ何倍も不安であった。足をかわすたびにポクリ、ポクリと、足くびまでうずめる砂ほこりが、尻ばしょりしている毛ずねまで染める。暑い午下《ひるさが》りの熱気で、ドキン、ドキンと耳鳴りしている自分を意識しながら歩いている。その眼路《めじ》のはるかつきるまで、咽喉《のど》のひりつくような白くかわいた道がつづいていた。



底本:「徳永直文学選集」熊本出版文化会館
   2008(平成20)年5月15日初版
底本の親本:「あぶら照り」新潮社
   1948(昭和23)年10月15日
初出:「新潮」
   1948(昭和23)年1月
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2008年12月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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