戸參府の歸途、島津江戸邸の門前を通過するときは駕を降りて、日本流に敬禮したと、彼自身の「日本囘想録」に見えてゐるくらゐだから、或は信用していいか知れぬ。しかしそれよりもつよく、當然私らの考へにはいつてくるものは、「島津侯に祿仕せしめられ」た川本幸民であり、幸民と嘉平とのつながりであらう。殊に「月々理化學の講義云々」を思へば、直接ではなかつたにしても、この學者と名工が科學の絆によつて、何らかの形でむすばれたらうと想像することは無理であらうか。
 ところで私は「嘉平の活字」の行衞を追つかけなくてはならない。手がかりは二つあつて、一つは前記の「昔時本邦創成の和歐活字製作略傳」中の末尾に見える、嘉平の活字がサツマ辭書の印刷に用ひられたといふのであり、いま一つはK・H氏が私に見せた大福帳型のオランダ單語篇と、同じくK・H氏が「八王子の活字」と稱ぶところの、やはり蘭書「濟生三方附醫戒」である。單語篇のイタリツク風の活字は既に見た。「濟生三方附醫戒」はK・H氏もまだ見てないらしいが、同氏が「八王子の活字」と名づけてゐるところの所以たる、ある文獻を貸してくれた。それは第千百五十號の中外醫事新報と、同第
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