刷術界に革新をもたらしてゐることである。私たちは幼時この※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]轉式の「ブルース式」によつて育つたが、いま嘉平や昌造の苦心を傳へ讀んで、「ブルース式」から「手鑄込み器」の歴史まで遡ることができるのだ。
 そして嘉平の困苦はまだつづく。十年めに一應出來あがつた活字製法は、木や銅に手で彫つた種字が、實用に堪へぬうちに破損してしまつた。「しかし以上の方法でも種字は破損しやすく、徒らに年月を費し、嘉平は齊彬公樣の御意に報い得なかつた。――偶々島津侯の邸内に月々理化學の講義があるのを聞知し――一日偶々同邸において和蘭人に出會し、電氣學の一部を研究することを得、是より蝋石面に種字を凸形に彫刻し、高度に溶解せる液體の中に浸漬し――」云々と。これは川本幸民の「遠西奇器述」で説くところの電胎法である。
 斯くして、嘉平の活字字母は出來上つたのだといふ。そこで私は考へるのだが、島津ほどの大藩であつたから、或はオランダ人もその江戸邸に出入することも出來たか知れぬ。齊彬から二代か以前の島津重豪などは、新知識を學ぶために蘭人を厚遇したといふし、オランダのカピタン・ヅーフなどは江
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