くはない。
それに工藝とか科學とかいふものは、それ自體が、いはば理想の顯現ではなからうか。觀念の世界とはちがつて、ただ才能があるだけで、或は環境や條件のせゐで、ないしは功名心や利害關係だけでも、發明や發見や改良をするやうな偶然も、けつして尠くはないにちがひない。しかしそれでも根本を引き摺つてゐるものは、それぞれの差異はあれ、大きく云へば理想にちがひなからう。昌造の著書がみんな「雷除けの法」とか「流行眼を治す法」とかばかりであつたとしても(いや私は全部讀んだわけでないから斷定もできぬが)、それも彼の理想の一端ではなからうか。當時の世情からすれば、「石鹸を製する法」でも、「水の善惡を測る法」でも、新知識であつたし、彼の「緒言」にあるやうに讀者がもとめたものであらう。殊に近代活字創成のための二十年間の辛苦をひつぱつていつたものは、單なる功名心ではないにちがひない。
私の頭の中では、以前とはだいぶちがつた形で、昌造のイメーヂが映りはじめてきた。私の主人公はえらくなくはないが、つまり偉人などといふものではなかつた。これといふ奇行も特徴もないが、器用で、熱心で、勉強家で、法螺もふかず、大それた
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