舍の藪醫者みたいになつてゐた。
 つまり、私の主人公はえらくなくなつてしまつたのである。大鳥が鉛をはじめて活字のボデイとして實用化したり、木村が電胎法で最初の活字字母を作つたとしても、それとは無關係に、嘉永の初期からこつこつと、二十餘年をつづけたといふ昌造の辛苦の事實を忘れたわけでもないが、彼の理想や觀念は著書にも見ることが出來ず、何かトピツク的なことがなければ工藝のことなど、それ自體としては小説にはとらへどこがない氣がするのであつた。
 私は主人公を見失つて、もう止めようかなど考へながら、漫然と洋學の傳統など調べては日を暮した。しかし、しばらく經つうちに、幕末の、殊に安政以來の洋學はその政治的事情から、ひどく實利的に赴かねばならぬといふことを知つた。天保十二年に渡邊崋山が自殺し、嘉永三年に高野長英が自刄してから以來といふもの、洋學者たちはただその實利性のみに頼つて生き得たといふ傾向は、昌造たちにも影響せずにはゐられまいと考へることが出來た。たとへば昌造の「新塾餘談」の序文にある――素より文字を以て論ずるものに非ず、見る人その鄙俚を笑ふこと勿れ――といふ文句も、そんな眼でみれば意味が無
前へ 次へ
全311ページ中45ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳永 直 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング