うと思つたからであつた。
 印刷雜誌のM・T氏は、私の持參した三谷未亡人の紹介状をみて、快く承諾し、給仕に命じて、室の隅から大きな柳行李を持ちださしてくれた。三谷氏の蒐集品は、まだ印刷博物館が出來あがつてをらず、保管してくれる篤志な有力者への引渡しも濟んでゐないので、自由にみる譯にはゆかなかつた。
「新塾餘談」第三篇は、上下二册になつてゐて、樺色表紙の薄い和綴の本である。明治四年の發行で、四號くらゐの鉛活字で印刷されてあつたが、披げてゆくうち私は失望してしまつた。ある航海日誌であつて、昌造の著書でないことは昌造自身の序文で明らかにしてある。推測するところ萬延元年アメリカへ日本使節として行つた木村攝津守、勝麟太郎一行のうちの誰かの日誌らしいが、途中マニラに寄港したことや、大統領に歡待されることなどが出てくる。殊に港々で水何千ガロンを買入れるとか、風速とか、温度とかが最も熱心に書き入れてあつた。昌造の序文も至極かんたんで、自製するところの鉛活字によつて出版するが、これは友人茗邨君が送つてくれた航海日誌である。夷狄の風物も面白く、航海の實際も讀者を裨益するところ尠くないと思ふから一讀を乞ふと
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