うごいた。まだ唇がうごいてゐるが、よくききとれない。私がわからぬままにうなづいてみせると、ニツコリして、さも疲れたといふ風にむかふむきになつてしまつた。――
 夕方になつて私達は、新聞包みを抱へて病院を出たが、五反田驛まできてもすぐには電車に乘れない氣がして、驛前の喫茶店に入ると、その新聞包みをあけてみた。みんな粗末な裝幀で、一册は「本木昌造、平野富二詳傳」他の二册は「活字高低の研究」「植字能率増進法」であつたが、「本木昌造、平野富二詳傳」の方は、表紙に「再版原稿」と墨書してあつて、いろんな書込みや、貼込みがしてある。三谷氏は初版後さらに研究をかさねて、訂正増補版を出す心算であつたらう。
「偶然だナ、まるで遺言をききに行つたやうなもんだ。」
 若いH君はしきりと昂奮して、コーヒーに口もつけず繰り返してゐた。私はめくりながら序文など讀んでゐたが、本木傳は福地源一郎の原文を主にして、その傍に「編者曰く」とか「補」とか「註」とかいふ形で三谷氏の文章がならんでゐる。福地の原文は私が他の著書で讀んだ本木傳と大同小異であつて、その「編者曰く」や「補」や「註」が新らしいものだつた。それは氏が長崎や福
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