はまるでない。昌造の場合も第一期の「蘭話通辯」時代はとにかく、第二期ではもはや絶望してゐるかにみえる。それは以後慶應から明治初年に至る第三期まで、ふたたび「流し込み活字」を繰り返した形跡をみることが出來ないからである。
 種類が無限にもちかく、字畫が複雜をきはめる日本の文字は、木版のやうにまつたくの手業によるか、でなければいま數段の科學的方法によるかしかなかつた。その意味で明治二年長崎で、日本の誰よりも魁けて昌造が、ガムプルから電胎法を學びとつたことは、まつたく劃時代的であつた。その意義の重大さはそれを傳授したアメリカ人ガムプルには恐らく想像し得ぬ程のものであらう。何故ならアルハベツトの民族では、字母製造における電胎法の役割はそれほど大きくないからである。たとへばオスワルドの「西洋印刷文明史」には字母の電胎法による製造の歴史については誌されずに、一八四〇年以後に完成した電氣寫眞版及び凸版のことが、重大に誌されてゐる。ロシヤ人ヤコビ、イギリス人ジヨルデイン、アメリカ人アダムス、オーストリヤ人プレツチエらである。電氣凸版は勿論日本の印刷歴史にとつても重要だが、電胎法による字母製造のそれはよ
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