り以上重大であつたのだ。
 日本の活字が創造されるには、いま一段の飛躍的な近代科學が必要であつたが、「フアラデーの法則」が確立されたのが西暦の一八三三年で、「活字板摺立所」が一八五五年であれば、昌造の「流し込み活字」に苦悶しつつ、しかも次の飛躍には容易にうつれない苦しい時期がわかるやうである。一八三三年と一八五五年との間は二十二年であり、「フアラデーの法則」が實際的に電氣凸版として應用されはじめたのを一八四〇年以後だとすれば、十年そこらである。そして東西の交通を憶ひ、當時の國情を省みるならば、その期間は決して永くはない。
 しかし江戸末期の科學者たちは、苦難の道を開拓しつつあつた。川本幸民が「遠西奇器述」で電胎法のことを祖述したのは嘉永六年で一八五三年、平賀源内や橋本曇齋、本木道平などの一種の發電機いはゆる「エレキテル」の實驗が、さらに溯ること天保年間、一八三〇年代であつたことを思へば、ペルリが書いたやうに、ゴンチヤロフが書いたやうに、シーボルトが書いたやうに、日本の民族はえらかつたのである。私は日本に於ける電氣學の發達歴史については何も知らぬが、天保年間の平賀、橋本、本木らのいはゆる
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