にきたのか。」
 まだ涙のつたはつてゐる顏に、無遠慮に不機嫌な表情がうかんだ。
「ホら、あそこで、共同印刷で――」
 私は思はず「ああ」と聲をあげた。これはまた何といふことだ。私は本木研究家としての三谷氏だけを考へてゐたのだ。私はも一度聲をあげた。
「ああ、三谷君でしたか――」

      四

 三谷氏と私はしばらく顏を見合せてゐた。病人は細君に涙を拭いて貰ひながら、くるしい呼吸づかひだが、滿足氣であつた。
 大震災當時のことだから二十年ちかくもならうか。共同印刷會社の第一製版工場で、私も三谷氏も同じ植字工だつたのである。その當座、私は自分の屬してゐたポイント科の工場がつぶれてしまつて、他の植字工と一緒に第一工場へ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]されてきたので、三谷氏がその工場ではすでに古參だつたかどうかは知らない。それに三谷氏は一緒になると半年くらゐでやめて他の會社へいつたので、とくに親しかつたといふわけでもないが、仕事臺がちやうどむかひあひになつてゐた。普通だと雙方のケース架の背でさへぎられてしまふのだが、大男の三谷氏はケース架の上に首だけでてゐた。いつも私は「オイ」
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