も起さうとする容子だつた。
「バカヤロ、枕をとるんだ。」
 口ぎたなく罵りつける言葉まで激しい。そして泳ぐやうに手をふりながら、眼をH君の肩ごしに私の顏へまつすぐにそそいで、
「よくきてくれたなア。」
 と云つた。吐き出すやうに言葉の尻はかすれながら、皺んだ眼尻にポタポタと涙がつたはつてゐる。
「ほんとによくきてくれた。」
 さつきからの泳ぐやうな手ぶりは握手を求めてゐるのだと氣がついたので、慌てて私は應じたものの、すこしびつくりしてゐた。重態の病人だからはじめての人間にもこんなに昂奮するのかと思つたのである。
 しかし三谷氏は握つた手をなかなかはなさないで、しげしげと私の顏を見入るのである。三谷氏はふとい鼻柱と、くせのある幅廣な唇許をもつてゐて、神經質でいつこく[#「いつこく」に傍点]な風貌があつた。
「しばらくだつたなア。」
 呼吸をつぎつぎなつかしさうに云ふ。
「君も、年をとつたぢやないか、だいぶ白髮がある――」
 ボンヤリな私も不審になつてきたが、この三谷氏と、どこで逢つたことがあるだらう? 困つてそれをたださうとすると、とたんに相手は手を離してしまつた。
「なんだ、君ア知らず
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