派」の原因とするところは一に「蘭書取次」にある。
 これに比べて、「入牢否定説」の「本木、平野詳傳」は、有力な反證をあげて次のやうに述べてある。その一は安政二年より三年にかけて昌造は出島の蘭館で活版技師インデル・モウルを監督して「蘭話字典」を印刷してゐること。その二は安政二年「活字板摺立係」を命ぜられてゐること。その三は安政二年造船海運についての「由緒書」を奉行荒尾岩見守を經て永井玄蕃頭に提出してゐること。その四は安政三年「和蘭文典文章篇」を著述してゐること。その五は安政四年和蘭で出版した「日本文典」の日本活字の種書を送つてゐること。その六は安政四年、「和英對譯商用便覽」を出版してゐること。その七は安政五年「物理の本」を出版してゐること。その八は安政四年に次男小太郎が産れてゐること。その九は長崎奉行所の「入牢帳及犯科帳」にも記録がないこと等であつて、このうち「活字板摺立係」任命は月が不明なので事件前か後かわからぬし、造船、海運の「由緒書」は海軍傳習所設置當時だからこれも事件前かも知れぬが、その他の反證はたしかに現存する文書や、家系が示すところによつて疑ふ餘地がないが、「本木、平野詳傳」
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